西本願寺の境内にある庭園・滴翠園(てきすいえん)には飛雲閣(ひうんかく)という建築物があります。
金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つだそうです。
豊臣秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい)の一部ともいわれており、三層からなる楼閣建築で国宝に指定されています。
◆庭園レポート
滴翠園の池に面して、そびえたつなんともいえぬ風雅な姿。舟で出入りするように造られていてそれもまた一層の風流さを醸し出しています。
あの有名な金閣・銀閣はシンメトリーに作られていますが飛雲閣は建物全体がアシンメトリーに造られていて見る位置によって印象が一変するので、多彩な表情を感じさせてくれます。
第一層に、入母屋と唐破風が配され左右が非対称になっています。第二層の、三十六歌仙を描いた「歌仙の間」。あいにく近くで見ることができなかったので絵図の詳細は見れませんでしたが…。第三層が、摘星楼という名の望楼になっています。星がつかめそうなほど眺めがいいことからきているそうです。
その美しさ、雅な姿、池泉とのバランス。名建築と謳われるのも、さもありなんという感じでした。
◆拝観
2020年3月まで修復作業中
(以後は電話問合せの上、要予約か特別公開時のみ見学可能)
◆拝観料
志納
◆所要時間
15分程
◆アクセス
京都市下京区堀川通花屋町下る ⇒地図
京都駅 市バス『京都駅前』より9番,28番,75番に乗車『西本願寺前』で下車。
JR京都駅から徒歩15分ほど
◆歴史のこばなし
聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政治的機関+邸宅として建てられました。
聚楽第は実質的には本丸を中心に、西の丸・南二の丸及び北の丸の三つの曲輪を持ち堀を巡らせていたため、邸宅というよりはお城でした。
『後陽成天皇聚楽第行幸図』(堺市博物館収蔵)
建物には金箔瓦が用いられ、白壁の櫓や天守のような重層な建物を持つ姿が「聚楽第図屏風」や「洛中洛外図」などの絵図に描かれており、かなり壮麗なものであったようです。
秀吉が関白の座を甥の秀次に譲ってからは、秀次が聚楽第の主になりました。悪行や乱行(人斬りなど無用な殺生)を繰り返す秀次を秀吉が高野山に追放したのち、秀次の妻や子も全て処刑します。
秀次を処刑したあと秀吉は聚楽第も徹底的に取り壊してしまいます。秀吉が秀次を処刑したことに関しては、跡継ぎとして淀君との間にやっと生まれた実子(実子ではない説もありますが)秀頼のことを思うと秀次が邪魔になったから、など諸説あります。
竣工からわずか8年で、それはそれは壮麗であったであろう黄金の城は消滅してしまいます。飛雲閣に幻の聚楽第の姿を重ねて思い描くのも、楽しいひとときですね。