高低差のある滝の水音と穴太衆の石垣にシビれる滋賀院門跡庭園

仏教の庭

滋賀院門跡は1615年に天海(天海についてはこちら)が後陽成天皇より法勝寺を賜り、移築され後水尾上皇より滋賀院の号を賜ったお寺です。

◆庭園レポート
滋賀院門跡はみどころがたくさん。まず寺院の外観の穴太積み(あのうづみ)の石垣。さすが近江坂本、穴太衆のお膝元ですよね。

画像引用元 imamiya

狩野派の障壁画をはじめ、天海ゆかりの品々も見ごたえあります。中でも比叡山延暦寺に1200年も灯し続けられている不滅の法灯と同じ灯し火を見れるのが素敵。

宸殿の西側にある庭園は小堀遠州の作庭です。池泉鑑賞式の庭園です。蓬莱山形式(蓬莱山形式についてはこちらで説明しています)で、左手に亀島を右手の滝に巨石で鶴石組、正面に蓬莱山を表現しています。池の中央には5mの石橋があり、平たく細長い池の面を引き締めています。

瀧のやや激しめな水音も耳に心地よい、高低差のあるお庭です。奥行はそんなにないのに高低差があるのでとても大きく、雄大さを感じられます。

眼下には琵琶湖、背後には比叡山。坂本に来るたびにそのロケーションの素晴らしさに数か月くらい逗留してみたい~となります。テレワークが常態化するようなら月単位で様々な土地に逗留してみたいです。老後の夢だと思ってたけど、テレワークできるなら案外早く実行できそううな気もしますね。


◆拝観
9:00~16:30

◆拝観料
450円

◆見学所要時間
40分ほど

◆アクセス
滋賀県大津市坂本四丁目6-1 ⇒地図
京阪電車坂本駅から徒歩5分
JR比叡山坂本駅から徒歩20分


◆歴史のこばなし
「穴太積み(あのうづみ)」というワード、聞いたことある方多いと思います。穴太積みとは穴太衆(あのうしゅう)が組んでいた石積のことです。坂本あたり(穴太地区)を中心に活動していた石工集団、石の職人たち「穴太衆」は安土城の築城の際に、その堅牢で高い石積の技術を披露。それ以降、「石積といえば穴太衆」といわれ築城の現場で引っ張りだこになりました。もともとは固有名詞だったのですがそのうち、穴太出身でなくとも石工や石の職人のことを穴太衆・穴太方と呼ぶようになったそうです。

なぜ、近江の坂本あたりで石工の技術が高い技能集団が生まれたのか?はっきりとしたルーツはわかっていないそうですが、天智天皇の時代に大津京が造られる際にやってきた渡来人がルーツとされるようです。穴太古墳群の横穴式石室の石組みは穴太衆の野面積み(のづらづみ)にそっくりなのだとか。
大津京造営のためにやってきた石工の技を持つ渡来人が移り住みその後、比叡山延暦寺の石垣や石積の造成に参加し、より技術を磨いていったのではないかと推測されます。


野面積み(のづらづみ)とは…自然石をそのまま積み上げる方法。 加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていないのが特徴。

しかし江戸以降は築城の機会もなくなり穴太衆は衰退し、現在では坂本の粟田家一件のみが伝統と技術を継承して「穴太衆」を名乗り石垣の修復などで活躍しています。坂本では穴太衆が積んだ石積をたくさん見ることができるので、ぜひ比叡山延暦寺と一緒に坂本の寺院や町の散策をしながらスペシャリティな石工技術を楽しむのをおススメします!

ikeda

ikeda

日本庭園(主に古庭園)と歴史が好きな管理人が日本庭園の紹介と歴史コラムをと書いています。京都芸術大学大学院環境デザイン領域日本庭園分野を修了。書いた論文を当サイト内でも公開しています。

関連記事

TOP