滝石組が豪華な蓮の池泉庭と光明寺ならではの三尊五祖のお庭

仏教の庭

光明寺は天照山蓮華院光明寺といい、浄土宗の寺院です。創立は鎌倉時代で西暦1243年といわれています。浄土宗三祖・然阿良忠上人によって開かれたそうです。

庭園レポート

光明寺には二つの庭園を楽しむことができます。一つは、大聖閣と開山堂の間に広がる「記主庭園」。鑑賞式の池泉庭園。蓮池でもあり、蓮の時期は観蓮会も行われるそう。大聖閣の絢爛さに目が奪われがちですが、滝石組もかなり豪華です。

本堂南側には三尊五祖の石庭。秩父青石を使用されています。奥の三石が阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を表現。手前の五石が五祖(釈迦・善導・法然・鎮西・記主)を表現されているそうです。

刈り込みも大きく、雄大さを感じさせる枯山水で、春の一日にぴったりなゆ~ったりとした気分になれます。光明寺から歩いて海を見にいけるのロケーションも素敵でした。次は蓮の時期にぜひ行ってみたいです。


◆拝観
拝観時間:
午前6時~午後5時(4月1日より10月14日まで)
午前7時~午後4時(10月15日より3月31日まで)

◆拝観料
無料

◆拝観所要時間
1時間ほど

◆アクセス
神奈川県鎌倉市材木座6丁目17−19


歴史コラム

三尊五祖の石庭が光明寺にあります。
三尊とは…極楽浄土の仏である阿弥陀如来、慈悲の仏である観音菩薩、智慧の仏である勢至菩薩のこと。
五祖とは…釈迦(仏教の始祖)、善導(中国浄土教の僧)、法然(浄土宗の宗祖)、鎮西(浄土宗第二祖)、記主(光明寺開山の然阿良忠)。
だそうです。私は仏像にあまり詳しくないので「阿弥陀如来と菩薩と釈迦ってどう違んだっけ…??」と毎度、困惑してしまいます。
 
左が釈迦如来で右が阿弥陀如来って…ほぼ一緒じゃないですか??顔やお召し物はほぼ一緒!なことが多いそうですが、違いは手の結び方。釈迦は手のひらを上に向けて手を組むか、右の手を挙げる施無畏印(せむいいん)という組み方が多いです。阿弥陀如来は指をぐっと上に向けて手を組んでいる来迎印(らいごういん)という組み方です。臨終した人を迎えに来る時の印だそう。

阿弥陀如来と釈迦の違い
釈迦は言わずとしれたゴータマ・シッダールタ。インドの王族の王子でありながら死生観に苦悩。厳しい修行を経てついに悟りを開き、釈迦如来となった仏教の始祖です。実在の人物。仏陀」と「釈迦」の違いですが、「仏陀」というのは「悟りを開いたもの」の総称であり個人を指す言葉ではないのです。

一方、阿弥陀如来はある国の王が人々の救済のために「法蔵菩薩」と名乗られ、人々を救済する方法を48の願いとして表します。18番目の願で「皆を必ず救うという私の誓いを信じて私の名前を呼ぶもの(南無阿弥陀仏と念仏するもの)は、一人残らず私の悟りの国である浄土に生まれさせるぞ」と誓われた…という伝承、つまり架空の人物です。

ではこの架空の人物を創り上げたのは誰か…というと、仏教の始祖である釈迦です。釈迦が弟子に語った教えをまとめた「浄土三部経」で阿弥陀如来について書いています。釈迦が弟子に語った内容は「我々(釈迦と弟子)が生まれるもっともっと以前から敬われるべき数々の如来が存在した。(総勢80人以上の如来の名前が続いたあと)ダルマーカラ(法蔵菩薩)が五劫の間考え続けたのちに、無量光如来(阿弥陀仏)になった」というものです。

つまり釈迦が自分たち人間を超越した存在があり、その圧倒的な存在を信じること」を説くためにストーリー仕立てにしたという感じでしょうか。
日本神話も圧倒的な万物の力を持つ神々をストーリーづけて神格化しているし、架空の(時には実在の人物も脚色されますが)如来や菩薩を用いてわかりやすく伝えるのは、宗教の共通項なのかもしれません。

ちなみに、菩薩とは「悟りを求める者」で如来になるために修行している者で、きらびやかな装飾品をつけています。如来は「悟りを得た者」で装飾品の類は身に着けていません。これは割と覚えやすいですよね。
 
明らかにきらびやかな菩薩とシンプルな如来。

ikeda

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日本庭園(特に古庭園)と歴史が好き。歴史のアレコレを調べるのと庭巡りがライフワークの管理人が発信するブログです。

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