1052年、藤原頼通が父・道長より譲り受けた別業を仏寺に改め平等院としました。この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。末法思想についてはこちら。
その翌年の1053年には阿弥陀堂(鳳凰堂)が完成し、堂内には平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。
◆庭園レポート
池泉に映るというか、浮かぶ鳳凰堂のものすごく美しいです。写真などでよくみるあの光景、生でみると嘘でしょなにこれ…浄土やん!って思わず言うほど美しいです。池への映り込みを考えたらぜひ晴れた日に行くのをオススメします。
ミュージアムで雲中供養菩薩を初めて見たのですが、なんて優雅なんでしょうか。一体一体、表情が違っていてさらにポージングも細かくてめちゃくちゃ見応えありました。
仏像にはあんまり興味ないんだって人もきっと楽しめる奥深さです。さらに境内にある、養林院書院には細川忠興が作庭した洗練された枯山水があるという…。とても見たい!と思いましたが、公開はしていないようでガッカリしました…。
◆拝観
無休 8:30~17:30(鳳凰堂内は9:30~16:10)
◆拝観料
大人600円(庭園+ミュージアム)
◆所要時間
1時間ほど(ミュージアム含む)
◆アクセス
「京都駅」からJR奈良線で17分(みやこ路快速)、「宇治駅」下車、徒歩10分
京阪電鉄宇治線で「京阪宇治駅」下車、徒歩10分
◆歴史のこばなし
“平安仏教”と呼ばれるのは主に最澄の興した天台宗と、空海の興した真言宗のふたつの宗派をさします。平安仏教の前には奈良仏教(南都六宗)と呼ばれる奈良時代に発展した6つの宗派の仏教がありました。
宗派というよりは仏教の研究に重きをおいた学派に近く、仏教の真理を研究する学僧の集まりでした。朝廷に庇護されていくうちに国家に対して権力をもち、孝謙女帝のお気に入りであった道鏡が天皇の座を狙うなど力を持ちすぎた感のある奈良仏教。
桓武天皇と嵯峨天皇は奈良仏教に対抗するための新たな宗派として、最澄の天台宗と空海の真言宗をバックアップすることにしました。
都市仏教として発展していた奈良仏教と違い、天台宗と真言宗は山岳仏教であったため最澄は比叡山に延暦寺を、空海は高野山に金剛峯寺を開きます。
また加持祈禱をする密教(秘密の教え)を行う特色があり、平安仏教は基本的には国や貴族の現世利益のためのものになりました。
「當麻寺奥院」の歴史のこばなしに書いた鎌倉仏教と比較してみると、その特色の違いが面白く感じると思います。
ひとくちに「日本の仏教」といっても時代の政治背景によって様々な変化があるんですね。