源光庵は約670年前に臨済宗⼤徳寺2代・徹翁国師(てっとうこくし)によって開創され、1694年に⼤乗寺27代・卍⼭道⽩禅師(まんざんどうはくぜんし)が住持してからは曹洞宗の寺院となりました。
◆庭園レポート
源光庵は「悟りの窓と迷いの窓」があることでも有名です。どちらがどちらかわかりますか?円が悟りで四角が迷いです。□は枠に囲われとらわれた心を表し、〇は悟りの境地・仏性・全宇宙を表しています。
座して、両方の窓を眺めるとたしかに円はどこまでも広がっていく膨張が見えるのに対して、四角は縮小に見えるので視覚的な効果としてもわかりやすかったです。
曹洞宗では坐禅によって得る心の安らぎがそのまま仏の心であるとしています。その自覚をもって「⾏住坐臥(ぎょうじゅうざが)」をおこなう。「⾏」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐 ること、「臥」とは寝ることを。坐禅の精神によって「⾏住坐臥」の⽣活に 安住し、安らかで穏やかな⽇々を送ることに価値を⾒いだしていこうという教えです。
人間が持つ様々な欲望を悪いものだとは決して思わないですが、今回の新型コロナによる今までとは違う生活の中で真意や本質を考える機会になったりはしました。安らかで穏やかで平和的な日々がいかに尊いことなのかを実感した方は多いのではないでしょうか。
禅宗も浄土宗も浄土真宗も日蓮宗もものすごい激動の時代に生まれた宗派で、民衆の苦しみに寄り添おうとしました。今の日本国内で積極的に宗教や信仰の話をする人は少ないと思いますが、こういう時代だからこそ、先人たちの叡智の結集である各宗派の教えを紐解いてみても面白いかもしれません。
しかし初夏の源光庵は素晴らしかったです。画像は公式サイトより
◆拝観
9:00~17:00(2021年まで改修工事のため拝観不可)
◆拝観料
400円
◆所要時間
20分ほど
◆アクセス
京都市北区鷹峯北鷹峯町47
市バス北1系統・6系統 鷹峰源光庵前下車徒歩約1分
◆歴史のこばなし
こちらの歴史のこばなしで書いていますが、禅の宗派のひとつ臨済宗(りんざいしゅう)は武家政権(鎌倉幕府・室町幕府)と密接な関係にあり、室町期には臨済宗の五山叢林(ござんそうりん、室町幕府が制定した臨済宗寺院の格付け)は権威主義的になった側面もありました。比叡山延暦寺や高野山真言宗が平安時代に朝廷や公家社会と密接な関係にあり権威主義的になったのと同じく、です。
五山の格付けの中に曹洞宗(そうとうしゅう)が入っていないのはそのためです。では、鎌倉期・室町期の曹洞宗はどのような感じだったんでしょうか。
曹洞宗の始祖は道元。道元は京都に生まれ、天台宗を学び、臨済宗の僧・明全に師事したあと中国に渡り帰国して曹洞宗を開きます。臨済宗が時の権力者の信仰を集めたのに対し、曹洞宗は地方の豪族や一般の民衆に支持されどんどん全国へ広まっていきました。臨済宗が政治の中心であった京都・鎌倉を中心に広まったのに対して曹洞宗は地方で広がっていきます。
江戸時代に制定された寺檀制度(じだんせいど・はじまりはキリシタンや禁止宗教を取り締まるうえで寺が自分のところの信徒(檀家)を保証したもの)によって、寺院は社会的な基盤を確固たるものにします。
しかし信仰の形骸化、世俗化も加速していくことに。本山の教えとは別に現世利益を説いてお布施を集めたり、よりたくさんの信徒(檀家)を集めるために民衆に人気の民間信仰を取り入れたり。
曹洞宗のお寺も末寺にはそういったお寺もでてきはじめ、大切な嗣法相続(しほうそうぞく、禅宗で師から弟子へと法脈が受け継がれること)の乱れを危惧して、寺院を管理していた江戸幕府の寺社奉行に直訴したのが卍⼭道⽩禅師(まんざんどうはくぜんし)。その直訴は実に三年間に及び、根負けした(?)江戸幕府は江曹洞宗の定規を定めた再可復古令を発布します。この功績から卍⼭道⽩禅師は曹洞宗中興の祖ともいわれています。
ちなみにさきほどの寺檀制度によって生まれたものとして「寺による葬儀の執り行い・墓の管理」というのがあります。現在、多くの方はお寺にお世話になることは葬式や法要でしかないのではないでしょうか(いわゆる葬式仏教)。そう考えると仏法に触れる機会って本当に限られたもので、ブッディストの国といえるのかもうわからないですね。でも人々が信仰を望まなければそれが答えなのでしょう。現代の私たちは何に心を預けるんでしょう。あふれる情報?エンタメ?物欲主義?自己表現?認知承認?つながり?そのどれをも網羅できるスマホでしょうか。スマホってすごい。私ももちろん中毒です。