京都の法輪寺は臨済宗妙心寺派の寺院。達磨寺としても有名で、境内のだるま堂には所狭しと様々なだるまさんが並べられています。ころんと丸い形のだるま人形が縁起物として人気ですが、法輪寺が「だるま寺」として有名になったのは第十代の伊山和尚がその”だるまの何度倒しても起き上がる姿”になぞらえ、禅の教えを説いて回ったことに起因しているそうです。
日本には当選や受験合格の願いを込め左目の部分に目を入れ、その願いが叶うとまた残りの右目に目を入れるという昔からの習慣が残されています。倒しても再び起き上がる特徴から忍耐と努力、不屈の精神の象徴としてだるまは私たちの身近にいますね。
◆庭園レポート
法輪寺には方丈南に「無尽庭」という枯山水庭園があります。昭和53年に作庭されたお庭だそうです。仏教画「十牛図」を題材にしています。下地に苔を貼り、地元の石を使った豪快な石組みがみどころ。大きな鞍馬石が豪快! 石にも苔むしてなんとも良い風情をかもしているお庭。
訪れたのが11月の頭だったので少し紅葉も始まっていました。紅葉とススキが庭に秋の彩りを加えて、佳い景色です。「十牛図」とは悟りにいたるまでの10の段階を10枚の絵と詩で表したもの。なんで「牛」なのかというと物語の最初が逃げた牛を探すところから始まるためです。
◆拝観
年中無休
拝観時間:9:00~16:30
◆所要時間
30分程
◆アクセス
京都市上京区下立売通天神道西入行衛町457 ⇒地図
JR山陰線 円町下車 徒歩5分
◆歴史のこばなし
だるまさんのモチーフになっているのは禅宗をつくった「達磨大師」です。達磨大師はいつの時代の人なのかというと、400年代の人なので日本でいうと古墳時代にインドで活躍した僧です。南インドの国王の息子であった達磨大師は10歳で仏門に入り、インドで教えを広めたあと100歳を超えて、海を渡り中国へ。本当だとしたらすごいバイタリティ…。
その時の中国の武帝とのやりとりが、有名な問答「達磨廓然の話」です。
仏教を厚く信仰していた武帝が聞きます。
「私はお寺も建立して写経もして僧侶の修行を支えたり教団を支援したり、とにかく貢献してきた。この功徳はどれくらいになります?」と。すると達磨大師は「なんにもない。功徳なんてなんもない。」と答えます。「えっ、なんでよ?こんなにいっぱい貢献したのに!?」となおも詰め寄る武帝に達磨大師は「それは人間の尺度であり因果であり、新たな煩悩を生むだけだ。あなたのしていることは功徳ではない。」ときっぱり。「じゃあ功徳になる一番のことはなに?」と聞く武帝。「そんなものはない。真の功徳は求めるものではない」と答える達磨大師。功徳を積む方法を教えてくれない達磨大師に痺れを切らした武帝は「お前、一体誰なんだよ!?」と聞きます。達磨大師は「何者でもない」と言い放ち、武帝の元を去ります。
現代でも「見返りを求めない」ということは美徳とされています。見返りを求める=依存していることであり、自立していないこと、本当の意味の発心でいないのと同じですから禅の教えとは遥かにかけ離れている気もします。そういった意味で「達磨廓然の話」は非常にわかりやすい問答です。
その後、中国の洞窟にて面壁坐禅(壁に向かって座る事)を9年続けた達磨大師。どうしても弟子入りしたくて達磨大師に何度か断られた上に「仏教の教えはそんなに軽々しいもんではない、命と引き換えに聞かせていただくものだ」と言われ、ここで学ばなければ一生苦しみの世界をさまようことになる!いやだ!という気持ちから、腕を切り落とした僧侶もいたそうです。ハードすぎる…。
こちらの画像がまさに洞窟で坐禅する達磨大師に自分の切り落とした手を差し出している僧(慧可)の図。確かに切り取った手を持っていますね…。私はこの雪舟の描いた達磨大師画が一番好きです。実物を見る機会があったら本当に見てほしい!鬼気迫る筆致がすごいので…!
禅画でも達磨大師はモチーフとして大人気。中でも江戸時代の白隠禅師の達磨大師画はほっこりしますよ~。禅画入門にぴったりです。