江戸時代の庭
江戸時代になると「大名庭園」が発展します。大名庭園は江戸をはじめとする各地諸藩の大名の邸宅や別荘に設けられた庭園の総称であり、様式名ではありません。 江戸時代、全国の大名は、参勤交代のため、江戸に複数のお屋敷を持っていま…
江戸時代になると「大名庭園」が発展します。大名庭園は江戸をはじめとする各地諸藩の大名の邸宅や別荘に設けられた庭園の総称であり、様式名ではありません。 江戸時代、全国の大名は、参勤交代のため、江戸に複数のお屋敷を持っていま…
小堀遠州や上田宗箇、古田織部など「戦国大名」なのに作庭に秀でた人物がなぜ出てきたのでしょうか。なぜ戦国大名が作庭に関わるようになったのでしょうか?それには「茶の湯」の影響がありました。 室町時代に村田珠光が形式を定め、そ…
室町期の地割や巧みな石組構成を引き継ぐと同時に、安土桃山時代の庭園は豪華絢爛な様相を呈してきます。特に石組などは室町期の質実剛健さに加えて、華麗なまでの石組構成を見せるのが、この時代の庭園の特徴です。華やかさがあり、この…
禅宗(臨済宗・曹洞宗)は鎌倉中期に伝来し、浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗などとともに鎌倉新仏教として世の中に広まります。⇒鎌倉新仏教についてはこちらの歴史コラムをお読みください。 禅の修行は深山幽谷の大自然の中でおこなう…
五山に列せられた南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺をはじめとする京都の禅宗寺院に庭園がつくられていきました。 禅宗寺院の庭の特徴はなんといっても枯山水の技法が様式化したことです。もともとは涸山水と呼ばれた枯山水はなん…
足利義満が北山殿に金閣を建て足利義政が銀閣を建立し、義政が亡くなるまでの約100年間。北山文化から東山文化へと様々な文化様式が花開いた室町時代は禅宗文化の黄金期でもありました。 金閣寺の庭園は西園寺公望公の別荘地だった頃…
鎌倉時代になると貴族・武士階級の建築は平安時代の寝殿造りから書院造りへと変化していきます。 とはいえ、鎌倉時代の書院建築は室町時代の書院造ほど作りこまれておらず、座敷に畳がなかったり付け書院や床の間の形式に統一がなかった…
平安時代=寝殿造り=浄土式庭園という図式が一般的ですが、鎌倉時代に入っても浄土式庭園は造られ続けています。 源頼朝は奥州・平泉の毛越寺を模した伽藍を建築させたのが永福寺です。永福寺の庭園も毛越寺の庭園と同様の浄土式庭園で…
平安時代中期、末法の世を迎えます。※末法とは…釈迦の死後1,500年(または2,000年)以降の仏法衰退になる時代 日本国内はその頃、貴族の摂関政治が衰え院政へと向かう時期で、また武士が台頭しつつあり治安の乱れも激しく民…
平安時代の貴族の邸宅を「寝殿造り」といいます。その基本構成は敷地の北側に「寝殿」という主屋が南向きに建ち、その東西に東対屋、西対屋があります。寝殿とそれぞれの対屋は渡り廊下で結ばれています。さらに東西の対屋から少し離れた…
日本の庭は平安京から始まるというのが長い間の通説だったようです。しかし飛鳥・奈良時代の庭園が発掘され通説が変わりました。昭和50年に発掘された平城京左京三条二坊宮跡庭園はS字状の池泉の庭です。平成12年に明日香村で発掘さ…
日本の庭園は古代・中世・近世・近代ではテイストが違います。なぜそれをひとくくりにして「日本庭園」とまとめることができるのでしょうか。 その理由は日本庭園を作成してきた日本人に連綿と流れる「自然への尊重・自然崇拝」にありま…