四天王寺は日本最初の仏法の寺といわれ、推古天皇元年(593)に建立されました。物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために建立されました。
そんな四天王寺の中に本坊庭園・極楽浄土の庭があります。阿弥陀如来のおられる荘厳な美と歓喜の世界。色とりどりの花やかぐわしい香り、たえない音楽で満たされていて一切の苦しみがない極楽浄土の世界。そんな極楽浄土をイメージされて作られています。池泉回遊式庭園です。湯屋方丈は徳川秀忠による再建です。方丈とは住職の居室のことで、天海大僧正が四天王寺執務の時には在住していたそうです。
◆庭園レポート
訪れたのはちょうど新緑の美しい5月のしかも良いお天気の日で、緑が明るく、水面がキラキラと美しかったのを覚えています。入ってすぐ「釈迦の滝」と名付けられた滝があり、水が澄んでいて清廉な気分にさせてくれます。極楽浄土を思わせる様々な花が植わっており、蓮池の見頃の時期にいくのがオススメです。
天王寺はゴチャゴチャと雑多な、いかにも大阪らしい活気のある街なのですがあの市中にあるとは思えない静かさ優美さが漂っており、そういう意味でも「庭園」の空間の仕切り、結界をとてもよく感じられる庭園です。
◆拝観時間
4月~9月 8:30~16:30 / 10月~3月 8:30~16:00
◆拝観料
伽藍300円 / 庭園300円 / 宝物館500円
◆アクセス
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 地図
環状線 天王寺駅 から北へ徒歩12 分 / 地下鉄 御堂筋線天王寺駅 から北へ徒歩12 分
◆歴史のこばなし
物部守屋と蘇我馬子の合戦は、日本ではじめての宗教戦争じゃないでしょうか。
朝廷に仕える身分だった物部家と蘇我家の間には婚姻関係を結んだりと大きな確執はなかったようです。
両家に軋轢が生じるのは仏教が伝来以降。蘇我稲目(馬子の父)は仏教を熱心に崇礼拝しました。一方、神祇崇拝を重んじてきた物部尾輿(守屋の父)はこれに反対し、寺を焼き仏像を難波の堀江に流したりしました。
この軋轢が子の代になるとさらに激化、ついに戦いに発展しました。この時仏教派の蘇我氏についたのが厩戸皇子(のちの聖徳太子)で、前述にもありますが「この戦いに勝てばこの地に寺院を建立する」と誓願して、四天王像を彫ったことが四天王寺の建立の起こりだとされています。
ちなみにこの戦いの時にもうひとつ似たような逸話があり、聖徳太子は物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、奈良と大阪の境にある山に至りました。
太子が戦勝の祈願をすると天空から毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を聖徳太子に授けたという伝説があります。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でした。
太子はその御加護で勝利し自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。毎年、阪神タイガースが必勝祈願しに行くので有名な信貴山にもこんなエピソードがあるんですね