平安時代の貴族の邸宅を「寝殿造り」といいます。その基本構成は敷地の北側に「寝殿」という主屋が南向きに建ち、その東西に東対屋、西対屋があります。寝殿とそれぞれの対屋は渡り廊下で結ばれています。さらに東西の対屋から少し離れた南の場所に泉殿、釣殿があり、それらも対屋と渡り廊下で結ばれています。
金閣寺の一層目や平等院の鳳凰堂、平安神宮、厳島神社などが寝殿造りの建築物です。それらを見ているといかに寝殿造りの庭園が大規模であったのかがわかります。
池泉や鑓水(やりみず)をつくり、植物を植える手法は暑さをやわらげる実用的なものでもありました。
それが上流貴族になるほど、儀式・鑑賞の目的が大きくなり「仏いじり・庭いじり」といった貴族趣味へと広がりを見せます。
平安前期の河原院庭園では奥州・塩釜の松島の風景を再現すべく池泉に小島を点在させ松を植え、池畔では塩を焼く煙の演出までしてたというのだから、とても風雅な貴族の庭いじりですね。