英彦山神宮周辺庭園群とは福岡県の英彦山神宮の僧坊に室町時代から江戸時代中期にかけて築造された庭園で、7か所が国の名勝に指定されています。今回はそのうちのふたつ、旧亀石坊庭園と顕揚坊庭園ご紹介します。
庭園レポート
旧亀石坊庭園は雪舟の作と伝わっている池泉鑑賞式庭園。今は庭園のみが残っています。ひとことで言うと「激シブ」です。石組みが素晴らしい…。経年によってさびた景色にわびの心を感じて、静寂の中に奥深さを感じます。冬の冷たい澄んだ空気と相まって最高でした!
旧亀石坊庭園から歩いてすぐの顕揚坊庭園はこじんまりとしていますが、静けさの中に水音がこだましていて美しい風情を醸しています。書院からの鑑賞庭園で、江戸時代前期頃の作庭と考えられています。明治の廃仏毀釈の時に英彦山の僧坊の多くは荒廃してしまったそうなのですが、顕揚坊は比較的保存状態がいいみたいです。こちらも激シブい!
◆拝観
各坊によって異なります(旧亀石坊庭園は年中無休ぽかったです)
◆見学所要時間
二つで30分ほど
◆拝観料
無料
◆アクセス
福岡県田川郡添田町英彦山
添田町営バス別所駐車場バス停より徒歩10分(車で行った方が無難ではあります)
歴史コラム
英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場として栄えました。
明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年に天皇陛下のお許しを得て、「神宮」に改称されたそうです。
⇒廃仏毀釈、神仏分離についてはこちらのコラムで!
⇒神社、神宮の違いについてはこちらのコラムで!
修験道といえば独特の、結袈裟や兜巾やほら貝を身に着けている修行者(山伏)を思い浮かべると思います。
「修験道」とは宗派ではなく、民間の修行僧が神の領域としてあがめられている霊山で修行を積み、悟りを得ることを目的とした日本古来の山岳信仰です。各宗派、特に天台宗や真言宗の密教僧なども山岳修行に加わり、長い時をかけて儀礼的にも教義的にも高まっていきました。
修験道の火付け役になったのは「役小角(役行者)」です。役小角は飛鳥時代の終り頃、奈良の葛城山で活躍した山岳修行者で伝承では鬼神を使役したり(鬼神をあやつった)、呪術が得意で人々を惑わせたなどの疑いで伊豆大島に流罪になります。
ところがこの「流罪になった」ということが「罪になるってことは…そんだけ危険ってみなされるってことは役小角の力って本物なんじゃん!」と、修験道を志す修行者の目指すべき偉大な存在になり修験道がより活発化・発展していくことになりました。
皮肉なものですが現代でも似た話はありますよね。例えばアーティストや活動家が過激なパフォーマンスを行い逮捕されることになった時など「マジで半端ねえ!本物クオリティ!」ってオーディエンスが騒いでフィーバーして影響力がさらに強まったり。そう思うと何百年経とうが「過剰な規制」は逆効果なんだなということがよくわかりますね。