姫路城、松本城、犬山城とともに国宝に指定されている彦根城。その彦根城のすぐそばにある玄宮園は大池泉回遊式の旧大名庭園で、中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝(唐時代)の離宮庭園を参考に「瀟湘八景」を「近江八景」に置き換えて作庭されたといわれているそう。彦根城天守を借景として、中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物が配されています。
◆庭園レポート
11月の紅葉の時期、玄宮園はライトアップして特別拝観を催します。かなり広い大名庭園で「江戸時代の贅を尽くした庭園」の呼び声も高い池泉回遊式庭園。
紅葉がふんだんに植わっており、池に映り込む紅葉の美しさたるや…。本当にゾッとするほど美しいのです。ちょっと怖くなるくらいの妖艶さなのでこの世のものじゃないみたいだと思いました。引き込まれてしまいそうな。池の底で違う世界と繋がってるんじゃないの…と思うくらい幻想的な雰囲気を味わえます。
でも大丈夫、この時期は拝観の人もたくさんいるので、あちこちから聞こえてくる関西のマダム達の「何いうてんねん、池に落としたろか」だの「あ~こんなにキレイなもん見たら自分もキレイになったような気がすんなあ」みたいな楽しい掛け合いで、この世であることを思い出せます。
◆営業時間
無休 8:30~17:00【ライトアップは毎年11月中頃~12月初旬まで 18:00~21:00】
◆入場料
大人600円 / 小人200円
◆所要時間
1時間ほど
◆アクセス
滋賀県彦根市金亀町3-40 地図
JR琵琶湖線 「彦根駅」 下車 徒歩 15分
◆歴史のこばなし
徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城しました。
佐和山城は石田三成が改築した後は「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」ともいわれた名城でしたが、直政は中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌がり、湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していました。
しかし関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年に井伊直政は死去しました。その後、嫡男の直継が家督を継ぎましたが幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年琵琶湖に浮かぶ彦根山に彦根城の築城を開始しました。
井伊直政といえば「井伊の赤備え」が有名ですが、戦の時に武具や旗指し物を赤や朱で統一することは戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊であることが多かったそうです。
赤備えを最初に率いた武将は甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌とされ、以後赤備えは専ら甲斐武田軍団の代名詞とされています。
武田家滅亡後は徳川家が平定しその際、武田の赤備えを支えた山県隊の旧臣達が直政に付けられ、これにあやかって直政も自分の部隊を赤備えとして編成したと言われています。
ちなみに真田信繁の大阪夏の陣の赤備えも「勇猛な精鋭部隊」にちなんでのものだったようです。