浴龍池の鏡面反射に引き込まれる、王朝文化の到達点・修学院離宮

後水尾上皇の指示で造営された離宮(天皇や上皇の別邸のこと)です。谷川をせき止めた人工池を中心とした、広大な庭園とその関連建物から構成されています。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっています。上・中・下の三つの御茶屋から構成されており、それぞれ上御茶屋(かみのおちゃや)・中御茶屋(なかのおちゃや)・下御茶屋(しものおちゃや)と呼ばれています。それぞれの御茶屋の間には、広大な田畑が広がっており、それぞれのお茶屋を細い松並木道が結んでいます。中御茶屋はもともと後水尾上皇の第8皇女であった光子内親王(てるこないしんのう)のために1668年に造営された御所でした。※実際は、修学院離宮ではありませんでしたが1885年(明治18年)に修学院離宮の一部として編入されました。

◆庭園レポート
立派な松、松並木と広大な田畑。


中御茶屋の楽只軒(らくしけん)の前の池泉庭園。霞がたなびいているように見える霞棚は桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されています。角度が難しく、棚がちゃんと撮影できていませんが…。襖のデザインも市松で素敵です。ゴールド×水色の組み合わせって可愛いなあ、と。

上御茶屋は後水尾上皇自らが設計されたともいわれています。中でもやはり目を引くのはこの巨大な浴龍池(よくりゅうち)。上御茶屋から眺めたところ。写真でも見てもびっくりするほど美しいですが実際はもっと、もっと美しい景色です。
谷谷をせき止めて人の手でつくられた人工池です。「とんでもなく巨大なこの池を人工で…?江戸時代の初期に…??」って純粋にすごいなあ、と感嘆しました。
中国的な数寄屋造りのあずまや風の意匠が珍しい千鳥橋。水面に鏡面反射して大きな入口みたいに見えて面白いです。


何と美しい景色!壊滅的に写真のセンスがない私がとってもこんなに映えます。でもこれも写真でみるより実物の方は数百倍も美しい。光と影、鏡面反射、サラサラとそよぐ木の葉。要素が幾重にもなって、とんでもない風景を生み出しています。極上の美しさでした。


◆見学料
無料

◆見学
事前申し込み制(詳細はこちら

◆所要時間
見学ツアー80分

◆アクセス


◆歴史のこばなし
寛永文化サロンを率いた、文化人・御水尾上皇と徳川幕府のバッチバチの駆け引きの話も面白いので、ぜひこちらをお読みください!

現在、京都には宮内庁が管理する皇室関連の施設は五か所あります。(東京は離宮と名の付く施設はいくつかありますが、宮内庁が管理しているのは皇居のみ。)

京都にある宮内庁感管理の施設は、京都御所・仙洞御所・修学院離宮・桂離宮です。御所というのは天皇の邸宅で公儀などが執り行われた場所。離宮というのは別邸や別荘のことです。

造営された順番に並べると1331年に造営された京都御所が一番古いです。平安遷都(延暦13年・794年)時の御所は現在の京都御所ではなく、西の千本通り沿いにあった。現在の京都御所は、里内裏(内裏が火災で焼失した場合などに設けられた臨時の内裏)の一つであった土御門東洞院殿の地にありました。南北朝時代からは北朝側の内裏の所在地として定着し、鎌倉初期の1392年の南北朝の統一以後ここが正式の皇居となりました。⇒南北朝ってなに!?って人はこちらをどうぞ!

桂離宮は八条宮家初代の智仁親王によって基礎が築かれたとされています。智仁親王は後陽成天皇の弟に当たります。長年、子を授からなかった天下人・豊臣秀吉の猶子になった人物です。秀吉と側室・茶々の間に実子が生まれたため(秀吉の胤ではない説もありますが)智仁親王は八条宮家(桂宮家)を創設し、本邸を京都御所の北側に建設したのが、桂離宮のはじまりです。いつ建設が始まったのか明記されていないのですが、だいたい1600年前後でしょうか。この時点では桂離宮には庭園はなく、書院、茶屋、庭園などの造営は、2代目の智忠親王に引き継がれ、数十年間をかけて整備されました。

仙洞御所は1627年に造営されました。こちらは後水尾上皇のために徳川幕府が造営したものです。修学院離宮は後水尾上皇自らが指揮を執りましたが、仙洞御所は幕府主導だったんですね。庭園は徳川幕府の茶道指南役で作事名人でもあった小堀遠州が手掛けたそうですが、のちに後水尾上皇の意向によって大改修が行われたそうです。気に入らなかったんですかね…??

そして1655年に修学院離宮が造営されました。

これ以降にも離宮は造営され、全国に11か所ありました。第二次世界大戦後の諸改革で、桂離宮・修学院離宮以外は皇室の管理からはなれ、公共の施設として活用されています。