瑠璃光院のある「八瀬」の地は、「矢背」とも記されます。壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(のちの天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛された場所だそうです。
瑠璃光院は大正末から昭和の初めにかけて、数奇屋造りに大改築するとともに自然を借景とした名庭を造営されました。
◆庭園レポート
訪れた時期は青もみじと常緑樹の瑞々しさがたまりませんでした。瑠璃光院の二階では床みどりならぬ、机みどりが楽しめます。黒塗りの机に反射した青もみじのみずみずしい緑と室内の陰影とつややかな光に包まれたなんとも幻想的な空間。
瑠璃光院には庭園が二つあります。一つ目は瑠璃の庭。
瑠璃色に輝く浄土の世界を表わした庭で数十種の苔が植わっているそうです。苔のじゅうたんをぬうように一筋のせせらぎが清らかに流れている、とても静謐なお庭です。
もう一つのお庭は臥龍の庭。天に昇っていく龍を水と石で表現した庭で、眺める人の心を解放し、昇運の兆しをもたらすと言われているそうです。
結構な高低差があり、龍が天に向かっていく様がダイナミックに表現されています。
この上の滝の水が下の池へと落ちています。高低差と池泉のきらめきが三千院の実光院に似ていると感じました。
茶室前の路地もかなり素敵でした。苔がもっこもこで眼福、眼福!
茶室から眺める光や緑も格別です。
瑠璃光院には入口前にこんな清らかな水の池もあり、たまらない美しさ。見よ、このみずみずしいばかりの碧を!
◆拝観
春と秋の特別拝観時のみ
◆拝観料
2,000円
◆所要時間
1時間ほど
◆アクセス
京都市左京区上高野東山55 地図
「出町柳駅」から叡山電車(八瀬比叡山口行)にて
「八瀬比叡山口駅」(終点)下車。徒歩5分
◆歴史のこばなし
大海人皇子(おおあまのおうじ)が背の矢傷を負った壬申(じんしん)の乱は古代日本最大の内乱。大化の改新(飛鳥時代の最強豪族・蘇我氏を滅亡)を起こした天智天皇(てんじてんのう)の息子である大友皇子(おおとものおうじ)と天智天皇の弟・大海人(おおあまの)皇子による皇位継承を巡る争いです。
戦いの舞台となったのは現在の三重~岐阜~滋賀あたり。勝利した大海人皇子は即位し、天武天皇(てんむてんのう)となります。天武天皇は律令を制定したり『天皇記』や焼けて欠けてしまった『国記』に代わる国史の編纂を命じます。
そうしてできたのが『古事記』です。『古事記』は歴史書であるとともに、文学的な価値も非常に高く評価されている書物です。日本神話を伝える神典の一つとして、神道を中心に日本の宗教文化・精神文化に深く結びついています。
『古事記』に現れる神々は、日本の多くの神社で祭神として祀られています。特に古事記の神話の世界はイザナギ・イザナミ、アマテラス、スサノオやオオクニヌシなどたくさんのおおらかで個性豊かな神々が登場し、とても面白いものとなってます。
何年か前に日本神話(天地開闢から神武天皇が即位するあたりまで)にハマリ、神代のまとめを作ったのでもしよかったらお読みください!
⇒古事記まとめPDF
神代の制作物としてはこうのふみよ先生の「ぼおるぺん古事記」も絵柄が素晴らしくとても読みやすいのでおススメです!