室町時代の庭 金閣寺と銀閣寺

足利義満が北山殿に金閣を建て足利義政が銀閣を建立し、義政が亡くなるまでの約100年間。北山文化から東山文化へと様々な文化様式が花開いた室町時代は禅宗文化の黄金期でもありました。

金閣寺の庭園は西園寺公望公の別荘地だった頃は浄土式庭園でした。この地を譲り受けた足利義満は浄土式だった庭園を禅の庭園に作りなおしました。モデルとしたのは夢窓疎石が作庭した西芳寺であるといわれています。

金閣寺の正面には蓬莱島の中島があります。池泉の「鏡湖池」にはいくつもの鶴島・亀島が今にも泳ぎだしそうに配置されていて、大きな池泉自体が神仙蓬莱思想に基づいていることがわかります。
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金閣寺の北側は夢窓国師作の天龍寺にならった「龍門瀑」の滝が組まれています。金色の金閣寺にばかり目がいきがちですが実は庭園にこそ創意工夫が溢れています。

足利義政が晩年、造営に心血を注いだ銀閣寺も金閣寺を同じく西芳寺をモデルに造られています。夢窓疎石に心酔していた義政は何度も西芳寺を訪れ、構成を研究したそうです。そして西芳寺にならって、庭園全体を上下2段とし、下段に池泉庭を上段に枯山水を作りました。現在、方丈前は白砂による銀沙灘と向月台になっていますが、これは江戸時代に造られたものだと言われています。
銀閣寺02
雪化粧の銀沙灘と向月台