室町時代の庭

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浄土の庭から禅の庭へ

金閣寺の庭園は西園寺公望公の別荘地だった頃は浄土式庭園でした。この地を譲り受けた足利義満は浄土式だった庭園を禅の庭園に作りなおしました。そのモデルとなったのが夢窓国師作の西方寺(苔寺)です。あの金色の金閣殿は西芳寺にあった琉璃殿に倣ったものです。金閣寺の正面には蓬莱島の中島があります。池泉の「鏡湖池」にはいくつもの鶴島・亀島が今にも泳ぎだしそうに配置されていて、大きな池泉自体が神仙蓬莱思想に基づいていることがわかります。
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金閣寺の北側は夢窓国師作の天龍寺にならった「龍門瀑」の滝が組まれています。金色の金閣寺にばかり目がいきがちですが実は庭園にこそ創意工夫が溢れています。

足利義政が晩年、造営に心血を注いだ銀閣寺も金閣寺を同じく西芳寺をモデルに造られています。夢窓国師に心酔していた義政は何度も西芳寺を訪れ、構成を研究したそうです。そして西芳寺にならって、庭園全体を上下2段とし、下段に池泉庭を上段に枯山水を作りました。現在、方丈前は白砂による銀沙灘と向月台になっていますが、これは江戸時代に造られたものだと言われています。
銀閣寺02
雪化粧の銀沙灘と向月台


禅宗寺院で発展した枯山水
枯山水庭園は禅寺の方丈庭園で発展しました。禅の修行は深山幽谷の大自然の中でおこなうことを理想としています。やむをえず室内やまちなかで修行する時は理想とする大自然を再現する必要がありました。そのため禅寺では水墨山水画や枯山水庭園が必要とされ、必然的に禅寺で枯山水庭園が発展していったのです。
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大徳寺 大仙院