鎌倉時代・南北朝時代の庭

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鎌倉時代になると貴族・武士階級の建築は平安時代の寝殿造りから書院造りへと変化していきます。寝殿造りは南側に儀式のための広い白砂の空間を必要とし、さらに大きな池のある庭園を造りましたが書院造りでは儀式は室内で執行されるようになりその白砂の空間が不要になり、庭園は建築に隣接して造られるようになりました。

また書院建築は室内を南北に区切り、南側を公の間、北側をプライベートな空間としました。また北側は3つに仕切り、東側を書院、西側を接客の間としました。このように新しい建築がうまれ、庭園様式も変化し、平安時代の寝殿造りの庭や浄土式庭園とは違う庭が求められるようになりました。
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出典

鎌倉時代に中国から本格的に禅が伝わると日本庭園も禅の影響を大きく受けるようになります。中国南宗からの渡来僧、蘭渓道隆は臨済禅を日本にもたらし、鎌倉の建長寺を開きました。その蘭渓道隆が日本の庭に「龍門瀑」という滝の様式をもたらしたと言われています。

龍門瀑とは、中国の故事にある「登龍門」の由来である鯉が、三段の滝を登って龍に化す様を現している。登竜門(鯉が死を賭してまで龍になるべく努力する様子)にならって、修行僧が悟るまで、努力をしなければならないことを日本庭園の形で教えています。

蘭渓道隆は建長寺を開いたあと中国のスパイと疑われ、甲府にある東光寺に身を潜めました。東光寺には蘭渓道隆作と言われる庭園が今も残っています。非常に躍動感のある石組です。この龍門瀑を庭の重要なテーマとして定着させたのが夢窓国師でした。

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