日本庭園の成り立ちと発展

日本庭園の特徴は曲線による造景と左右非対称さです。その「左右非対称さ」は日本庭園が自然の風景をお手本にしているからです。それに対してヨーロッパ、フランスの庭園は直線と左右対称を基本としています。そのルーツはイスラム庭園にあるようでこの違いは風土や思想、庭に対する考え方の違いからきています。
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フランスの庭園

庭園文化を日本に持ち込んだのは飛鳥時代、百済からの渡来人で日本書紀に「呉橋」と「須弥山の像」を作ったとあります。その庭園文化に日本独自の池や古墳づくりの技術が合わさり、古代の庭園造りが深まったとされています。

奈良時代に入ると曲線主体の池泉となり、それ以後日本庭園では直線による造景はほとんど見られなくなりました。日本庭園は時代により様々に変化してきたんですね。庭の規模と様式は住宅や寺院建築に大きく関係しています。

京都に平安京ができると貴族たちは寝殿造りの館と池泉のある大きな庭を作りだします。11世紀初め頃、仏教は末法の世に入りそれと並行して極楽浄土をイメージした庭園「浄土庭園」が貴族の間で流行しました。京都・宇治の平等院庭園や平泉の毛越寺庭園がその代表です。
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宇治・平等院鳳凰堂

鎌倉時代になると書院建築が中心となりそれに合わせて、部屋から座って眺める「座視観賞式庭園」が生まれました。室町時代には水を使用しない枯山水庭園が生まれ、庭園の面積も小さくなっていきます。しかし石一つで大きな山や海、島などをイメージさせるなど日本庭園の象徴的な技法「枯山水」が発達し、日本独特の庭園文化が完成されました。
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枯山水庭園

桃山時代以降は戦国武将や大名が庭園づくりをリードします。この時代の茶の湯の発展とともに限られた狭い空間にきめ細かな創意工夫を凝らした「露地」が生まれました。
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茶室と露地

江戸時代は再び大池泉を中心とした大名庭園が各地に造られました。
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二条城庭園

明治時代以降は西洋文化の影響をうけ、日本の庭園文化はさらに大きく変化していきます。