奈良における最大の寺院である東大寺と、奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で「東」と「福」の字を取り京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。
実に19年を費やして完成しました。臨済宗東福寺派大本山の寺院です。
明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院。
東福寺といえば、“八相の庭”が有名です。八相の庭とは四庭に配された八つを「八相成道」に因んで命名されたものです。禅宗寺院には方丈前に庭園がよくありますが四周に庭園を巡らせたものは東福寺でしか見れません。作庭家・重森三玲によって昭和14年に完成されたもので、当時の創建年代にふさわしい鎌倉時代庭園の質実剛健な風格を基調に現代アートの抽象的構成を取り入れた近代禅宗庭園として広く知られています。
◆庭園レポート
重森三玲の作庭で有名なものといえばやはり東福寺!かなり人気なのでいつも大勢の人で賑わっています。
入って廊下を歩いていると東庭の「北斗の庭」が見えます。雲模様に円柱の石で北斗七星を構成しています。足元に夜空にひろがる小宇宙を造り出しています。どの角度から見てもいい!
そしてすぐに大方丈前の南庭には蓬莱神仙思想を表現しています。「蓬莱」「方丈」「瀛洲(えいじゅう)」「壷梁(こりょう)」と呼ばれる4つの仙島を巨石で表し、渦巻く砂紋によって「八海」を表し、築山で「五山」を表しているそう。
とにかくダイナミックでそれでいて神聖な雰囲気を醸し出している、混沌と静寂が入り混じったような庭です。
北庭には彫刻家・イサム・ノグチ(重森三玲と親交があったそうです)が「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評した市松模様(↑トップ画像)の庭があります。とにかくウマズゴケのもこもこ感が可愛くて可愛くて、あと奥の方が市松模様がランダムになっていてその効果で奥行き感がものすごくでています。すごく緻密に設計されているんだろうな~と見ていて楽しくなりました。
◆拝観
年中無休
9:00~16:00(4月~10月末)
8:30~16:00(11月~12月初旬)
9:00~15:30(12月初旬~3月末)
◆拝観料
大人400円
◆所要時間
30分ほど
◆アクセス
京都市東山区本町15丁目778 地図
JR奈良線・京阪本線「東福寺駅」下車、南東へ徒歩10分
◆歴史のこばなし
「明治の廃仏毀釈で東福寺の規模が縮小」と前述しましたが「明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」とは。
明治政府は王政復活をもとに、祭政一致を目指して神社を国家統合の機関にしようと「神仏分離令」を出しました。天皇の政治支配を正当化する根拠を「記紀神話」に求めたそうです。
神道をただひとつの国教としようとしたんですね。
神道というのは古代からあり、宗教ではなく民間信仰のようなものでした。日本人の生活の中に根ざし信仰されてきました。
仏教伝来の前までは神道が国教としてありましたが仏教伝来以降、蘇我vs物部の戦いにより神道派が敗れたり、聖徳太子が仏教に熱を上げたこともあり朝廷は仏教を持ってして鎮護国家をはかるようになります。
平安時代に空海が真言宗を開き最澄が天台宗を開きます。鎌倉時代にはさらに法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、日蓮が日蓮宗、臨済宗や曹洞宗など禅宗の台頭など細分化していきます。
では、日本人は仏教を選んだ時に神道を棄教したのか?というとそんなことはありません。神道は宗教ではなく信仰であり習慣のようなものだったので人々の生活からなくなることはなかったし、仏教をすすめる上で神社信仰を含めて取り込んでいく(神仏習合といいます。国家的な要請でもあったよう)ことにしたのです。
これは神道が一神教ではなく多神教であったため「神仏習合」がかなったと言われています。で、明治政府はこの「神仏習合」をやめて「神道のみを国教」とする廃仏毀釈運動が起こり、その時に取り壊しになったお寺などが数多くあるのです。
しかし廃仏毀釈運動はわずか2年で収束することから、政府の命ではなく「神仏分離令」を拡大解釈した過激派の一派が、民衆の反仏教感情を煽って引き起こしたクーデターのようなものと見る説もあります。