慈光院は1663年 大和小泉藩二代目藩主の片桐石見守石州が、初代藩主である父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。
寺としてよりも境内全体が一つの茶席として造られており、表の門や建物までの道・座敷や庭園、そして露地を通って小間の席という茶の湯で人を招く場合に必要な場所ひと揃え全部が、そのまま三百年の時を越えて眼にすることができるということは、全国的に見ても貴重な場所だそうです。
◆庭園レポート
石州流茶道の始祖、片桐石州が建立した大徳寺派の寺院。境内全体が一つの茶室としてつくられているとのことで、細やかな意匠があちこちにあります。奈良盆地を借景に取り入れた雄大な景色もかーなり素敵です。奈良はどこにいってもあまり高い建物がなく、空が近くて広い印象なのですが、奈良のスカッとした広々のびやかな風景を堪能できます。
襖が石州好みの「石州和模様」ですっごくモダンでオシャレです。拝観料とは別料金でお茶もいただけます。縁側で通り抜ける風を感じながら飲むお茶は格別でした。
◆拝観
9:00~17:00
◆拝観料
拝観料1,000 円(お抹茶代込)
◆所要時間
40分ほど
◆アクセス
奈良県大和郡山市小泉町865 地図
大和路線(関西線)「大和小泉」駅下車徒歩18分(1.4㎞)又はタクシー
◆歴史のこばなし
江戸前期の茶人・大名であった片桐石州。桑山宗仙に茶道を学び、千宗旦・小堀遠州とも交流があり、茶の湯を研鑽、小堀遠州のあとを受けて将軍家の茶道師範となります。
織田信長や豊臣秀吉の茶頭として有名なのは言わずと知れた千利休や、今井宗久・津田宗及らが有名です。豊臣秀吉が天下をとった後、千利休を筆頭茶頭に任命しました。千利休が秀吉に切腹を命じられた後は、豊臣家の筆頭茶頭は千利休の弟子で利休七哲のうちの一人、古田織部が担います。
秀吉の死後、古田織部は徳川二代将軍・徳川秀忠の茶の湯の指南役にも抜擢されます。しかし大阪夏の陣の際、豊臣家との内通を疑われ斬首されます。そう、師匠の千利休に続き、古田織部も不遇の死を遂げているんです。
千利休譲りの反骨精神があったと言われていたり、諸大名への影響力がありすぎるから危険視されたと言われていたりします。千利休の死に方と同じような感じなんですよね。
その古田織部に茶湯を学んでいた、小堀遠州が三代将軍・家光に献茶し、その流れから将軍家茶道師範と称されるようになったそうです。小堀遠州の後は、この片桐石州が茶道師範となり「剣は柳生、絵は狩野、茶は石州」と言う言葉があるように、江戸幕府御用達となりました。