特別名勝の方丈前庭、小堀遠州の七五三の庭、狩野探幽の障壁画と天井画。みどころありすぎ大徳寺本坊

禅の庭

大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山。鎌倉時代末期に開創。室町時代には応仁の乱で荒廃しましたが、一休和尚(一休さん)が復興しました。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀をおこない、信長の菩提ぼだいを弔うために総見院を建立。それをきっかけに戦国武将の塔頭たっちゅうの建立が相次ぎ隆盛を極めました。

◆庭園レポート
大徳寺の本坊、秋の特別公開(2019年に訪れました)。大徳寺は黄梅院、瑞峯院、大仙院など庭が有名な塔頭がいくつもあり何度も行ってるのに本坊はお初でした! 本坊は通常非公開なので特別公開時期でないと拝観できません。

画像引用元 京都観光Navi


画像引用元 そうだ、京都行こう

方丈庭園は天佑和尚の作。枯滝から流れる水を表した砂紋、うねり紋がとても良いです。正面の盛砂もよい…。※大徳寺本坊は撮影禁止だったので写真を撮っていませんので掲載画像はすべて引用させていただいています。
方丈の東庭は小堀遠州の作だそうです。右から左にいくにつれて石組みを小さくした遠近感のある七五三の石庭。

画像引用元 京都観光Navi

正面の唐門は聚楽第の遺構を移築したもの。豪華すぎる!見てて飽きのない細やかさ。聚楽第の遺構は少ないので嬉しいです。

法堂には狩野探幽が描いた天井図「鳴き龍」もありまして、さすが大徳寺の本坊といった感じで見どころが満載です。

画像引用元 そうだ、京都行こう


◆拝観
特別公開時期のみ

◆拝観料
1,000円

◆所要時間
40分ほど

◆アクセス
京都府京都市北区紫野大徳寺町53 ⇒地図
京都市バス「大徳寺前」下車徒歩すぐ
京都市営地下鉄「北大路駅」徒歩15分


◆歴史のこばなし
大徳寺になぜ戦国武将の塔頭たっちゅうが多いのかは冒頭でも書いたように織田信長の菩提寺を豊臣秀吉が建立したことがきっかけです。それ以降、隆盛を極めたとありますが、室町期の大徳寺はそこまでの寺勢はありませんでした。

室町幕府が制定した臨済宗の寺院の格付け、五山十刹のござんじっさつの中に大徳寺は入っていません。室町期の五山十刹は足利義満の時代に制定されたものです。寺院を組織化しランク付け、幕府の保護のもと統制したものです。⇒こちらのコラムに詳細を書いています

五山の制度自体は中国の寺院組織体系を真似たもので、鎌倉時代から行われていました。ただ時の権力者によってコロコロと格付けが変わっていたようです。
室町時代の初期に後醍醐天皇ごだいごてんのうが足利尊氏とともに鎌倉幕府を滅亡させた後、大徳寺は後醍醐天皇によって五山の一位に格付けされました。が、建武の新政が武士の反感を買い後醍醐天皇は味方であった足利尊氏に裏切られ追放。足利家による幕府が始まると大徳寺は五山十刹のうち、9位まで落とされます。

そんなこんなで叢林そうりん(国家の統制の下、保護される寺院のこと)から脱却を決めた大徳寺は独自の道を歩みます。応仁の乱後、焼け落ち荒廃してしまいますがその窮地を救ったのが他でもない、一休さんこと一休宗純いっきゅうそうじゅん。一休宗純の師である華叟老師かそうろうしが大徳寺にゆかりのある人であったこと、その当時の一休宗純に帰依していたのが堺の豪商や(一休宗純は一時期、堺で教えを説いていた)一流の文化人たち(わび茶の始祖と言われる村田珠光むらたしゅこうなど)で一休宗純の名声が高まっていたことなどから、大徳寺は一休宗純に住持になるように頼みます。一休宗純に帰依していた豪商や文化人の寄進によって大徳寺は復興をとげます。一休宗純は大徳寺の住持になりますが、大徳寺に住むことはなくずっと在野で活動を続けていたそうです。

一休宗純 一休さんについてはこちらに詳しく書いています

 

わび茶を創始した村田珠光が一休宗純に帰依していたので、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深くなり多くの茶人(千利休、小堀遠州ら)とも縁が深くなっていきます。禅寺において茶は修行生活の中に組み込まれており、茶の湯の世界に禅の精神が息づきました。ですので、禅寺である大徳寺と茶の湯の結びつきは自然なものですが、一休宗純と村田珠光によってより結びつきが強化されたということでしょうね。


村田珠光 茶人って感じの風情!

室町後期から安土桃山時代は貴族、大名のみならず商人の帰依を受けて隆盛を極めますが、江戸時代初期にあの後水尾天皇を巻き込んだあの紫衣事件の時に(詳細はこちらのコラムに書いています)大徳寺の元住持であった沢庵和尚が流罪になり、その影響で大徳寺は幕府の規制や圧力を受けます。

沢庵和尚 
バガボンドでもおなじみ

しかし二代将軍・秀忠の死後、三代・家光が沢庵和尚に帰依したことで幕府の規制が緩和、寺勢も回復し現在にいたっています。ここでも家光…!!家光は父・秀忠が嫌いだったようなのでそれと真逆のことをしただけかもしれませんね。

ikeda

ikeda

日本庭園(主に古庭園)と歴史が好きな管理人が日本庭園の紹介と歴史コラムをと書いています。京都芸術大学大学院環境デザイン領域日本庭園分野を修了。書いた論文を当サイト内でも公開しています。

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