春日大社奈良市春日野町にある神社。 奈良時代の768年に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために称徳天皇の勅命により創建されたとても歴史のある、有名なお社です。
◆庭園レポート
春日大社の貴賓館には二つのお庭があり毎年6月~9月の限定日のみ特別拝観を行っています。春日大社の所縁にちなんで作られた「三方正面 七五三磐境の庭」は重森三玲のかなり初期の作品で、寺社仏閣の庭園では一番最初の作品だそうです。後年の作品に比べてややおとなしめというか、アヴァンギャルドさは鳴りを潜めていますが、ピッシーと苔と白砂を地割した直線美は重森三玲の独自性が溢れ出ています。
もう一つの庭は「稲妻形 遣水の庭」。完成当初は井戸から水を組み上げて実際に水を流していたらしいのですが、現在は水は流してませんでした。遣水とは柔らかな曲線を用いた庭園内の水路のこと。しかし「稲妻形」というように鋭角なデザインの遣水はとても斬新。
ちなみにこの頃の重森三玲はまだ青石に傾倒していないので(重森三玲が阿波の青石を多用しだすのは中期以降、阿波国分寺庭園を見てから)青石が少ないのもいつもよく見る重森三玲の庭園とはまた違う趣があり、とても楽しめました。
◆見学
6月~9月の限定日のみ
ツアー申込が必要 ⇒詳細はこちら
◆料金
1,500円(解説付き)
◆見学所要時間
1時間ほど
◆アクセス
春日大社
奈良県奈良市春日野町160 ⇒地図
◆歴史のこばなし
「神社」と「寺院」の違いは「神社」は神道の建物で「寺院」は仏教の建物です。⇒仏教の「寺」と「院」と「庵」の違いはこちらに書いています。
長い歴史の中で仏教を受け入れ布教活動した神社もあり(神仏習合といいます)必ずしも神道と仏教は切り離されているわけではありませんでしたが、明治時代に神社と寺院を明確に分けたそうです。いわゆる明治の
神仏分離令です。
ちなみに神仏習合のさきがけは八幡宮の総本社・宇佐神宮とのことです。この宇佐神宮でご祭神となっていた八幡大神(誉田別命とも呼ばれ、応神天皇と同一とされています)。源氏や平氏など全国の武家から武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集めました。八幡大菩薩は神仏習合から生まれたものです。八幡神に対してたてまつられた菩薩の称号で、仏教に守られる八幡神という意味。
平家物語の名場面、那須与一の「扇の的射ち」でも「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯ぜんの大明神、願わくはあの扇の真ん中射させてたばせ給え。」と神々に祈念しているシーンの筆頭にでてきていますね(でも最後に地元の温泉の神様にも願っているのが面白い。よほど好きなお湯だったのかな)
「扇の的」をざっくりと説明すると那須与一は源義経の家来です。源氏vs平氏「屋島の戦い」の時に平氏側が舟先に扇をくくりつけて、さらにその舟に美女を乗せ源氏に対して手招きさせます。「この的が射れるもんなら射ってみよ~ほれほれ」という感じの挑発行為をしました。
その煽りにまんまと乗せられた源義経が那須与一に「絶対にあの扇を射れ」と命じて、与一は外したら死ぬ覚悟で射たら見事、扇に的中したという話。約70mも先の扇を射たことに両軍とも盛り上がり拍手喝采! あまりのすごさに興奮した平氏側の武者が舟の上で踊りだしたところ(おおらかですよね。こういうエピソード本当に好き)源義経が与一に「あの男も射てしまえ」と命じて、与一は今度も矢を男に的中させてしまう!丸腰の浮かれて踊っていた男を殺してしまったわけで、せっかくのお祭りムードもおじゃんになりまた熾烈な戦いへと戻っていく、というのがオチです。
↓扇の的(平家物語) wikipediaより引用
神社の話にもどって「神社」「神宮」「大社」「宮」「八幡宮」の違いってどこにあるのでしょうか。
◆神社
「神社」は神を祀るすべての社のことを指します。
◆神宮
「~~神宮」は天皇家と結びつきの強い神社のことです。ご祭神が皇族だったり、皇族の祖先です。
伊勢神宮(天照大御神・天皇家の始祖)
平安神宮(桓武天皇)
明治神宮(明治天皇)
などなど
◆大社
「~~大社」とは全国に数ある社の総本社、もしくは戦前の社格(神社の格付け)で位が高かった神社。
出雲大社
宗像大社
住吉大社
諏訪大社
などなど
いずれも全国に分社があちこちにありますよね。
◆宮
「~~宮」とは身分の高い人や皇族を祀っている神社のことです。
鎌倉宮(護良親王もりながしんのう 後醍醐天皇の三男)
東照宮(徳川家康がご祭神)
天満宮(菅原道真がご祭神)
◆八幡宮
八幡宮は八幡大神をご祭神とした神社のことです。八幡大神とは八幡宮は全国に4万以上の社があり日本で一番多い神社です。有名なところは
八幡総本宮 宇佐神宮
鶴岡八幡宮
石清水八幡宮
などなど
もちろん全部が全部、あてはまるわけでないそうです。