黄梅院は大徳寺の中にある塔頭で、織田信長が初めて上洛した際父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立したことが始まりだそうです。本能寺の変によって信長が急逝すると、豊臣秀吉がこれを徐々に増築し天正17年(1589)に「黄梅院」としました。
秀吉の軍旗「千成瓢箪」を象った空池を持つ「直中庭」を千利休が作庭し、庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したものです。さらには表門左手には加藤清正が朝鮮出兵の折りに朝鮮から持ち帰ったと伝わる釣り鐘があります。
また、加藤清正が持ち帰ったとされる朝鮮灯籠も庭に配置されています。(朝鮮出兵の際、行く時は人でいっぱいの船でしたが帰りには戦死した人が増え重さが足りなくなって重量のバランスを保つために鐘や灯籠を乗せたそうです)。戦国史の文化人や武将が関わっている戦国史好きにはたまらない黄梅院。武野紹鴎(茶の湯で千利休に影響を与えた)作の茶室「昨夢軒」も公開されており、見どころだらけの塔頭です。
※大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山です。塔頭(たっちゅう)とは禅宗寺院で、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院のことです。
◆庭園レポート
黄梅院の何が好きかって表門をくぐって庫裡につながる前庭の苔がいつも美しくて嬉しくなります。紅葉の時期は朱色と碧の調和が素晴らしいです。 ※この庭園のみ撮影可能
回廊を回って直中庭を正面から鑑賞し、存在感たっぷりの三尊石や構成の素晴らしさをじっくり鑑賞。豊臣秀吉の軍旗・ひょうたんをかたどった池は作庭当初から枯池です。
画像引用元:家庭画報
直中庭の隣には趣の異なる白川砂で構成した方丈庭園「破頭庭(はとうてい)」。手前に白川砂、奥に苔を配し、観音と勢至の二石でまとめられたシンプルな庭園です。
本堂の東側の庭園は砂紋と岩で構成された枯山水で、火灯窓から覗くとまた見え方が変わるのでぜひ火灯窓からも眺めてみてください。これがすごく良い額縁効果で、特に晴れた日は庭の明るさと室内のほどよい暗さが相まってものすごく美しいコントラストが見れます。本当に絵画のような、一瞬を切り取った美しさが目に焼き付きます。黄梅院は撮影禁止ですので(掲載している写真はwebサイトよりお借りしました)じっくり細部まで鑑賞して記憶に残したいところです。
◆拝観時間
春と秋の特別拝観時期のみ 10:00~16:00
◆拝観料
大人600円
◆所要時間
30分ほど
◆アクセス
京都市北区大徳寺町83-1 地図
地下鉄烏丸線京都駅から国際会館行き→北大路駅下車
北大路バスターミナル青のりばから市バス1・101・102・204・205・206系統
◆歴史のこばなし
大徳寺は臨済宗のお寺ですが、織田信長の宗派は法華宗だったようで滞在先のお寺なども法華宗の寺院をよく利用していました。あの本能寺も法華宗の寺院です。
表向きは法華に帰依しているとなっていたとはいえ、法華宗を信仰していたかどうかはわかりません。浄土宗vs法華宗の「安土総論」の時も法華宗の味方にはならなかった信長です。
建立する寺院に関してはこの黄梅院しかり、平手政秀を弔うための政秀寺も、安土城内に建立した摠見寺も全て臨済宗の寺院です。
法華に帰依していながら臨済宗の寺院を建立した理由はよくわかりませんが、こちらでも書きましたが武家と臨済宗は密接な関係にあったのでそういう背景もあってのことだったのでしょうか。