桃山時代の豪放さが潔くてかっこいい!伏見城から移築された圓徳院庭園

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圓徳院は、豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのをきっかけに高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。これが圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送りました。

◆庭園レポート
秀吉の妻、ねねが余生を過ごした圓徳院。庭園は伏見城からの移築で小堀遠州が手を加えたものだそうです。もともとは池泉回遊式だったのがいつからか枯山水になったんだとか。ここまで巨岩や大岩を多用してるのは珍しく桃山時代の豪華で豪胆な雰囲気が味わえます。とにかくダイナミックで、築山の高低差が大きいので奥行き感があり、迫力のある庭。安土桃山庭園はこうでなくっちゃ!って感じ。スカッと気持ちがいいお庭。とはいえ繊細さがないわけでもないんですが、やはりでもあっぱれなくらいの豪放さの印象の方が強いです。なんかこう、心持ちが大きくなるといいますか「ちっちぇ事なんて気にしないぜ」的な気持ちになります。開放感というのともちょっと違う…あれだ、マッドマックスを見終わったあとの「ヒャッハー感」に近いものがあります!
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◆歴史のこばなし
ねねと秀吉というのは非常に仲の良い夫婦であったのは有名な話です。大の女好きで側室が山ほどいた秀吉ですが、ねねへの気遣いは常に忘れなかったようです。2015年に大阪城内で開催された「乱世からの手紙」展では残存している様々な偉人が残した書が公開されていましたが、その中でも秀吉がねねに当てた手紙(「あなたからの返信がないから恋しくて手紙を書いてます。ずっとお便りがないよね…寂しいし、心配!どう?みんな変わりはない??心から返信待ってるから!」みたいな内容)が愛らしささえ感じさせるものすごくカワイイ手紙でした。天下をとってどれだけ偉くなろうが、どれだけ政務が大変だろうが、妻への感謝を忘れずに、妻の機嫌を損なうことを恐れて自筆でちゃんと手紙を書く…。素敵ですよね。秀吉は「人たらし」だと評されていますが、人たらしであるかどうかの前に、とっても人と関わることが好きでしかもそれをちゃんと大切にできる人間性だったんでしょう。ポジティブで快活な印象の強い秀吉が晩年に見せた狂気に近いモウロクぶりも「人間ってどうしようもないのか…!」って感じで好きです。

◆拝観
年中無休

◆近隣の御食事処
最寄り駅が河原町ですからもう食べるところはどこにでもありますのでランチするのに困ることはありません。河原町で特に好きな店は何件かありますが、冬は「珍竹林」の「生麩ぞうすい」を食べたくなります。あったまるし、たまらない出汁のうまさです。

◆アクセス
阪急河原町駅・京阪祇園四条駅から徒歩15分程度