国宝特別名勝の枯山水と室町時代の方丈建築・大仙院

大仙院は大徳寺の中でも特に由緒のある名刹であり、室町時代の代表的な枯山水庭園と方丈建築を有しています。襖絵は相阿弥の貴重なものばかりです。大仙院歴代中、第三世の虎古渓和尚は切腹し斬首された千利休の首を河原から持ち帰ったことで、第七世の沢庵和尚は宮本武蔵との関係で有名です。また利休を中心とする茶人の系譜は大仙院と密接な関わりがあります。

◆庭園レポート
滝が流れ落ち、大河となり石の舟が浮かび、小亀の泳ぐ景色のあと、方丈北の大海に至る設計となっています。水の流れを追うような感じで鑑賞していく感じで、面白いです。
狭く、細長い庭園なのですが石の配し方のせいか、それとも山・滝・大河・大海の一連の流れのおかげなのか、ものすごく奥行きというか立体感を感じる庭園でした。

ちなみに大徳寺に行くならば、大徳寺すぐ近くにある中華のサカイの冷めん(冷やし中華)は絶対食べるべきおいしさ。冬でも食べちゃう。


◆拝観
年中無休 9:00~17:00

◆拝観
400円

◆所要時間
15分ほど

◆アクセス
京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1 地図
地下鉄烏丸線京都駅から国際会館行き→北大路駅下車
北大路バスターミナル青のりばから市バス1・101・102・204・205・206系統
大徳寺前下車徒歩約7分


◆歴史のこばなし
「切腹し斬首された利休の首を持ち帰ったことで有名な古渓和尚」と前述しましたが、利休が切腹を命じられる一端となった話にも古渓和尚が関係しています。(千利休が重用されていたはずなのになぜ豊臣秀吉に煙たがれるようになり、ついには切腹まで言い渡されてしまうのかについてはこちらをお読みください。)

大徳寺の三門(金毛閣)の造り替えのため、利休が多額の寄進をしました。その返礼にと、古渓和尚が利休の木造を造り、それを三門の上に祀りました。それを知った秀吉は激怒します。激怒の理由としては「天皇をはじめとした高貴な方が通る三門の上に、利休の木造を置くということは、高貴な方の頭を踏みつける行為と同じである」と。この事が切腹命令の一端でもあると言われていますが、どちらかというと政治的な影響力が強くなりすぎた利休を排除するための言いがかりのようなものなんだとは思います

そもそも利休の像を安置したのは大徳寺の住持であった古渓和尚であって、利休本人ではないですもんね。まあ「安置を許諾した」ということが問題なのでしょうが…。言いがかりにも近い理由で蟄居を命じられ、切腹にまで至ります。茶の湯をめぐる美的感覚の違いであるとか、利休の政治力が強すぎたためだとか秀吉と利休の間で色々確執があったようです。