豊富秀吉自らが縄張りした、醍醐寺・三宝院庭園

醍醐寺の創建は874年、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けたことが起こりです。真言宗の寺院です。
醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになります。
その後、応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されました。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となったそうです。

◆庭園レポート
醍醐寺の塔頭である三宝院の庭園は豊臣秀吉自らが縄張りし、覇者の証として名高い「藤戸石」を聚楽第から運び込むなど、天下人の庭として知られています。醍醐寺といえば「醍醐の花見」の通り、桜が有名なのでこの時期(冬場)は閑散としたものでした。
とにかく桃山様式の豪華で豪壮な作りのお庭で、ずっと見ていてもちっとも飽きません。あと醍醐寺内にある霊宝館の密教宝具の数々と胎蔵界金剛界曼荼羅にめちゃくちゃときめきます。特に密教法具を携えた千手観音立像が素晴らしかったです。


◆拝観時間
無休 9:00~17:00(12月~2月末までは16:30)

◆拝観料
大人800円(三宝院・伽藍・霊宝館)

◆所要時間
1時間半ほど(三宝院・伽藍・霊宝館)

◆アクセス
都府京都市伏見区醍醐東大路町22 地図
京都市営地下鉄東西線醍醐駅下車 徒歩13分
京阪バス22系統 醍醐寺前 徒歩すぐ


◆歴史のこばなし
なぜ秀吉が醍醐寺の復興に尽力したかというと「醍醐の花見」をきっかけに、秀吉と親交のあった醍醐寺80世座主が願い出たからだそうです。

醍醐の花見とは、1598年に豊臣秀吉がその最晩年に京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴です。醍醐の花見の約半年後、秀吉は没します。

豊臣秀頼・北政所・淀殿ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆約1300人を召し従えた盛大な催しで、九州平定直後に催された北野大茶湯と双璧を成す秀吉一世一代の催し物として知られています。

参加した女性たちには2回の衣装替えが命じられ、一人3着ずつ着物が新調され、衣装代だけで現在の39億円に相当する金額がかかったと言われています。どんな規模で花見しとんねん!って感じですよね。