“利休好み”の絵画の中に迷い込んだかのような庭園 智積院
智積院(ちしゃくいん)は真言宗智山派の総本山です。「利休好みの庭」と伝えられる名勝庭園があります。第七世運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山随一の庭と言われるようになったそうです。 ◆庭園レポート かなり高低差のある築山…
智積院(ちしゃくいん)は真言宗智山派の総本山です。「利休好みの庭」と伝えられる名勝庭園があります。第七世運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山随一の庭と言われるようになったそうです。 ◆庭園レポート かなり高低差のある築山…
瑠璃光院のある「八瀬」の地は、「矢背」とも記されます。壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(のちの天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷として愛された場所だそ…
日蓮宗・本圀寺(ほんこくじ)の元塔頭である真如院(しんにょいん)。永禄年間に足利義昭が入洛した際、織田信長が真如院で迎えたと伝えられています。 瓜実灯籠・烏帽子石・呼子の手水鉢がある枯山水庭園は信長が義昭のために作庭させ…
観智院は東寺真言宗・東寺の塔頭の一つ。真言密教の経典が多数所蔵された真言宗の勧学院、大学の研究室のような立ち位置で、観智院からは多くの学僧が輩出されています。 ◆庭園レポート そんな観智院には二つの庭園があります。真言密…
蓮華寺は天台宗のお寺。江戸初期に加賀藩の家老今枝近義が洛中から移し再興されました。本堂前に六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があります。 ◆庭園レポート 庭園は池泉廻遊式で石川丈山の作であるとも伝えられているようです…
三千院は伝教大師最澄が比叡山、東塔南谷の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まります。その後、慈覚大師円仁に引き継がれ平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となりました。寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そし…
◆庭園レポート 京都にある重森三玲庭園美術館へ。お孫さんの重盛三明さんが館長、親族の皆さまで運営されてるそうです。重森三玲が過ごした邸宅で、お庭は最晩年に作られたものです。 重森三玲らしい大きな石と曲線によるデザインが躍…
正伝寺は臨済宗南禅寺派に属したお寺です。創立者は東巌慧安禅師。応仁の乱の時に戦火にのまれ、荒廃しました。その後豊臣秀吉が天下を統一すると、天正十三年(1585)寺領及山林の朱印状を附し再興をはかろうとしますが果たせず徳川…
円通寺は、臨済宗の妙心寺派のお寺です。かつてこの地には、後水尾天皇の幡枝離宮があったそうです。円通寺の庭園は苔を主体に刈込みと石を配し、大小40余りの庭石は上皇となった後水尾天皇が自ら配したと言われています。比叡山を借景…
旧徳島城表御殿庭園は、1600年頃に徳島城表御殿に面して造られた回遊式庭園です。桃山様式で当時の趣をよく残しているという理由から国の名勝に指定されています。庭園は枯山水庭と築山泉水庭の構成で、徳島ならではの青石がふんだん…
慈光院は1663年 大和小泉藩二代目藩主の片桐石見守石州が、初代藩主である父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。 寺と…
建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。その後、寛元・…
松尾大社は渡来人であった秦氏が一族の氏神として信仰した古い社です。境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があり、酒造家の信仰が厚い。室町初期の作で松尾造といわれる本殿(重要文化財)ほか拝殿、釣殿、楼門など社殿が多く、等身大の神像(…
圓徳院は、豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのをきっかけに高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。それ以来、大名、…
三千院の参道奥に位置する実光院は、魚山大原寺勝林院の子院です。実光院は魚山大原寺勝林院(ぎょざんたいげんじしょうりんいん)を本堂に頂く僧坊の一つで、応永年間(1394~1428)に宗信法印によって復興されました。 実光院…