青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられている寺院です。
◆庭園レポート
青蓮院の庭は池泉回遊式庭園です。相阿弥の作と伝えられ、粟田山を借景にしてその山裾を利用しています。
龍心池の対岸南に高く石積みした滝口を中心として、柔らかな曲線をえがいた築山が設けられた築山泉水庭でもあります。
言われてみると曲線が多いお庭で、なめらかな優美さを感じます。ちょうど小雨の日で石が濡れ木々の葉も水滴で瑞々しく、しっとりとした美しさがありました。
なだらかでなめらか~な線を見ていると角がとれて、心持ちもなんとなくなめらかになるような気がしてきます。
太閤秀吉が寄進したと伝わる一文字手水鉢。すごく立派でかっこいい。
青蓮院の宸殿(しんでん)にはあの親鸞聖人が得度(出家の儀式)をした「お得度の間」があります。ここで、親鸞聖人が得度を…!胸が震えるっ…!ってワナワナなりました。
門の前にはかなり大きなクスノキがあってそれもすごくかっこよくて、迫力があり見ごたえがありました。
◆拝観
無休 9:00~17:00
◆拝観料
500円
◆所要時間
30分ほど
◆アクセス
京都市東山区粟田口三条坊町69-1 地図
地下鉄東西線「東山駅」下車 徒歩約5分
京都市バス「神宮道」下車 徒歩約3分
◆歴史のこばなし
室町時代に活躍した相阿弥は足利義政の「同朋衆(どうぼうしゅう)」で、絵師をしながら書画の管理・鑑定、作庭、香、連歌、茶道など多方面で才能を発揮しました。相阿弥は父も祖父も将軍お抱えの「同朋衆」でした。
この「同朋衆」は室町時代以降将軍の近くで雑務や芸能にあたった人々のことを指します。「同朋衆」は阿弥号(あみごう)を持って剃髪し立花、茶湯、香、連歌など文芸面で活躍した人も多くいました。猿楽能で有名な観阿弥・世阿弥も「同朋衆」でした。
名前の後ろに「〇阿弥」と称するのを「阿弥号」といいますが、時宗の男性信徒が授かる法名も「阿弥」であるため、同朋衆は時宗の信徒であったという説もありますが、もともと阿弥号は重源(平安時代末期の僧侶。東大寺の復興に尽力)が大仏勧進のために人々に与えたもので、同朋衆の全てが時宗の僧侶であったかどうかは定かではないという説もあります。
足利義政の同朋衆の中の作庭に活躍した善阿弥はその当時、差別を受けていた河原者の出自でありながら同朋衆に抜擢され、作庭には多くの河原者も参加したようです。
あの千利休の祖父も田中千阿弥と称し、足利義政に仕える同朋衆だったそうです。応仁の乱の際に裏切りを疑われ堺に移り住み「千」と名乗ったと伝えられています。