桜島を借景とした島津家の雄大な大名庭園・仙巌園

仙巌園は鹿児島県・島津家19代当主であった島津光久によって造られ、それ以降も歴代の藩主が手を加えて改築が重ねられてきた日本を代表する大名庭園です。桜島を望む雄大な庭園に加え、殿様が暮らした御殿もありみどころが満載の豪華な庭園です。

◆庭園レポート
とにかく広い!大名庭園や御所の庭などは広いのが一つの特徴ですが、その中でも特に広いのではないかと思う仙巌園。桜島を借景にしているのも雄大すぎてかっこよすぎます。

仙巌園には大きな築山が作られていません。これは桜島を景色として取り込んであるので、築山は不要としているからだそう。大名庭園によくある大きな池泉が仙巌園にはありません。これも大きな築山がない理由と同様で、近くに美しい錦江湾があるから大仰な池は不要としているからだそう。

訪れた時期が冬でしかも曇りだったので桜島が隠れてしまってますが…。でも最高の借景~!

絶対ほとんどの人が「でかいっ」と反応を示すであろう獅子乗大石灯篭笠石はなんと8畳分もあるそうです。仙巌園には幕末維新の主導的存在で薩摩藩藩主であった島津斉彬(しまづなりあきら)がガス灯の実験を行ったと伝わる有名な鶴灯籠もあります。

江戸時代に造られた貴重な曲水の庭。曲水のラインが美しいです。

曲水の流れを落とした滝とひさご池。

御殿前の回遊式池泉庭園。大名庭園の中ではたしかにこぶりな池泉の作り。

仙巌園の中には「猫神」と呼ばれている祠があります。なんでも17代藩主の島津義弘が戦場で猫の瞳で時刻を計っていたそうで、戦場から生きて連れ帰ってきた二匹の猫をまつったことがはじまりだとか。愛猫の長寿を願う人も多いそうです。猫ちゃんの絵馬、すごくかわいかったです。


◆見学
年中無休 9:00~17:00

◆見学料
1,000円

◆所要時間
1時間ほど

◆アクセス
鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1 ⇒地図
鹿児島中央駅から20分
バス・カゴシマシティビュー「仙巌園前」で下車
まち巡りバス「仙巌園前」で下車


◆歴史のこばなし
島津家はいわずとしれた薩摩藩の鎌倉時代から続く名門。源頼朝から島津荘の下司職・地頭職を与えられた惟宗忠久(これむねのただひさ)が島津を姓としたことにはじまります。のちに忠久は薩摩・大隅・日向の守護職も与えられ、島津家の南九州支配の基礎を築きました。

しかし薩摩の豪族たちは島津氏の支配に激しく抵抗。一族の内紛もあって、島津家は滅亡寸前にまで追い込まれましたが、15代・貴久その子どもたち16代義久、17代義弘が勢力を挽回させ一時は九州の大半を制覇するまでになります。

やっとの思いで成し遂げた(ほぼ)九州統一も豊臣秀吉の九州征伐に敗れ、豊臣家に屈します。関ケ原の戦いでは西軍(石田三成方)に参加。西軍が敗れたあと島津隊は関ヶ原を敵中突破して九州まで逃げ延びたことでも有名です。この島津隊の勇猛果敢な退却戦は「島津の退き口」と呼ばれ、称賛されています。
いくつかの島津義弘を描いた小説などにも最高潮の盛り上がりのシーンとして登場します。とにかく島津豊久と長寿院盛淳の死にざまに涙する人は多いかと思います。(私は小説“島津奔る”の退却シーンで大号泣。天野純希先生の“衝天の剣-島津義弘伝”もめちゃくちゃおススメです。島津家久(義弘の弟)の魅力が爆発しています)

画像引用元 和楽

東軍がひしめきあう中をまっすぐ突破し、小隊が追撃部隊を抑え本体(義弘)を逃れさせる作戦。決死の勢いの獰猛な島津隊に手を出せるほど東軍側に余力がなかったとはいえ、数百人しかいない島津隊が数万の東軍の中を突破し、よく本隊は逃げきりましたねっていう…。ほんとすごい。

関ヶ原の戦いのあと、西軍に参加した家はことごとく取り潰されたり領地を召し上げられた中、島津家だけは大したおとがめなし。
これには所説ありますが朝鮮と薩摩とのつながりをちらつかせ島津家を敵に回すととんでもないことになるぞという圧を見せたとする説や、島津家を屈服させるためにわざわざ九州まで遠征し合戦になるととんでもない労力と時間がかかり、関ヶ原の戦いが終わったばかりの政情不安定な混沌とした中で対島津のために戦を起こすことはリスクが高すぎると判断したとする説があります。どちらにしろ、藩主であった島津義久が粘りに粘ったのは事実です。

そうして家を存続させることができた島津家。時は流れ、幕末。幕末維新の主導的存在として活躍した島津斉彬(なりあきら)。斉彬は頑なに鎖国を続ける幕府を批判し諸外国へ遅れをとる日本を憂い、海外の進んだ技術を取り入れた製錬所や反射炉、溶鉱炉などの西洋式の工場をつくりました。
西洋式の兵備や軍艦もつくり、諸外国と渡り合えるように水面下で軍事力を強めていきます。革新的な意識を持つ人材の育成にも努め、その中で西郷隆盛や大久保利通らが育っていきます

斉彬自身には倒幕の意思はなかったかと思いますし幕末の動乱の前に亡くなってしまいますが、斉彬の先進的な意識を引き継いだ西郷隆盛や大久保利通らが、幕政改革を訴え倒幕運動へとつながっていきます。

↓島津斉彬。趣味は写真撮影だったんだとか!

関ヶ原の戦いの後、取り潰しを免れた島津家・薩摩藩が幕末で倒幕の中心を担うのって皮肉というか運命のいたずら的な感じでとても面白いですよね。