雲間を泳ぐ龍は優雅か、それとも猛々しい?東福寺・龍吟庵

龍吟庵は臨済宗東福寺の塔頭。東福寺の第三世住持の大明国師の住居跡です。方丈は室町時代初期につくられたもので、応仁の乱以前の古制を残す日本最古の方丈建築。書院造と寝殿造の手法が融合した名建築だそうです。

◆庭園レポート
龍吟庵には意趣の異なる3つの庭園があります。方丈正面には「無の庭」。一木一草を用いない簡素な白砂敷きの庭園が。スキッと無駄をそぎ落とし、余計なものが剥がれ落ちるような気持ちになります。

西庭は「龍の庭」を名付けられた石庭。寺名にちなみ、龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を石組で表現しています。立てた青石で龍頭を中央に配置し白砂は海を黒砂は黒雲を、竹垣は電模様を表しているそうです。

この龍が昇天いる様を「雄々しく、猛々しく力強く飛んでいる」と見える人と、「何物にも追われることなく、捉われるものなく優雅に美しく飛んでいる」と見る人と、別れそうです。私は「何にもとらわれることなく優雅に、その世界の覇者のような余裕をもって飛んでいる」と見えて、同行した友人は「誰にも負けない強い気持ちで猛々しく飛んでいる」と見えていました。「龍が昇天している」という題材でも見る人の感性や心持ちによって解釈が変わるのは庭園の面白いところです。

東庭には「不離の庭」があります。珍しい赤砂を敷いて中央に長石を配置し、その前後に白と黒の二石を配しています。大明国師が狼に襲われた時に国師の身を二匹の忠犬が守ったという国師の幼少時代の故事にもとづいて作庭されたそうです。ちなみにどれが狼で、どれが犬なのかはちょっとよくわかりませんでした…。
赤石の枯山水を見たのは初めてでしたがなんとも言えない色の深みがあって興味深かったです。


◆拝観
9:00~16:00

◆拝観料
500円

◆所要時間
20分ほど

◆アクセス
京都市東山区本町15-812 地図
京阪本線 東福寺駅 10分
JR奈良線 東福寺駅 10分


◆歴史コラム

寝殿造と書院造の移り変わりについてはこちらのページでご紹介しています

書院造とは鎌倉時代から現れ、安土桃山時代に様式として完成した武家住宅のこと。書院を建物の中心にした形式のことで、”書院”とは書斎を兼ねた居間の中国風の呼称です。

武士は自分たちとって大切な「書院」を建物の中心としました。書院造りでは「襖」「障子」などの間仕切りが発達し、畳を敷き詰めた「座敷」「付け書院」など役割別の部屋が誕生。床の間、角柱、雨戸、縁側、玄関なども書院造りから生まれ、現代和風建築の基本となっています

書院造に大きく影響を与えた建造物はなんといっても足利義政が建てた東山文化の代名詞である慈照寺銀閣寺の東求堂でしょう。義政の書斎であった同仁斎は、ほぼその形式が整った現存最古の例です。

東求堂では私的空間としての「書院」の原型を見ることができます。四畳半の小さな一間に付書院と棚を備え、畳を敷き詰めたものです。ただし東求堂同仁斎は書院としての要素は持っていてもまだ書院造とは言えないそうです。

室町時代後期になって、押板や棚、書院を備える座敷が一般的になりそれらが連続空間となって書院造の形式が整えられていきます。

東山文化は足利義政が身分関係なく様々な人を登用したことであらゆる文化(水墨画・大和絵・茶道・能楽)が発達しました。建築様式もそのうちの一つで、足利義政は政治家としては無能中の無能と言われていますが文化人としては超一流で天才的だったんだろうなあと思います。

管領や守護が専横し、鬼嫁であった日野富子の一族による政治への介入など将軍であっても結局のところ実権などなく、お飾り的な立場に嫌気がさして政治放棄し現実逃避するかのように文化事業に没頭していった足利義政。将軍家の威光がどんどん失われていき責任放棄の果ての傾倒なのでしょうが、後生の我々の心を打つ豊かで美しい文化を打ち立ててくれたことを思うと万感の思いがしますね。