狩野永徳の襖絵が見られる、大徳寺・聚光院

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聚光院は永禄9年(1566)に三好義嗣が父・長慶の菩提を弔うため、大徳寺百七世・笑嶺宗きん(しょうれいそうきん)を請じて建立したお寺です。聚光院の名は長慶の法名に由来しています。笑嶺和尚に参禅した千利休が檀家となって多くの資財をよせ、以来茶道三千家の菩提所となっています。

◆いけこボイス
大徳寺の聚光院が特別公開中!というわけでいそいそと行ってまいりました。狩野永徳とその父、松永の襖絵が見れます。今まで狩野永徳の襖絵は美術展などで鑑賞したことがありますが、襖絵を美術館で横並びの展示で見るのでは本当の有り様はわからなかったのだな、というのが感想です。3面配置を計算されて設計されていて、一枚一枚の持つ意味や繋がり、立体的な視覚効果を生む技術などに感動しました。永徳の筆さばき、線の美しさもあんな間近で見れるなんて!さらに方丈庭園の苔庭枯山水は永徳が襖絵とのバランスを考えて下書きを書いたものを利休が整えたもの。なんという贅沢コラボ!
※聚光院は撮影禁止。画像はwebよりお借りしました。
027a9fd24d0eef3bdfffe609e12886a2出典:eh.com

jukou_in出典:yamada-kouji.com

◆歴史コラム
狩野永徳をはじめとした狩野派ってなんでこんなに重宝されていたんだろう?と常々思っておりました。狩野派は日本絵画史上最大の画派であり室町時代中期から江戸時代末期まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団です。室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、その子孫は、室町幕府崩壊後は織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕え、その時々の権力者と結び付いて常に画壇の中心を占め、内裏、城郭、大寺院などの障壁画から扇面などの小画面に至るまで、あらゆる絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼしました。
なぜ室町幕府が狩野正信を御用絵師としたのかについては諸説ありますが、一つには書院建築において重要な襖絵の需要と、狩野正信の出自は不明ですが武家の出身と推測されており、室町幕府(武家政権)の精神と狩野派台頭の時期が合っていたのではないか、とのことです。

◆拝観
特別公開時期のみ公開

◆近隣の御食事処
地下鉄で乗り換える際「北大路駅」で降りる場合は北大路駅前にビブレがあるのでその中の飲食店フロアにお店がたくさんありますし、少し混みますが北大路の洋食屋はせがわでフワフワのハンバーグをいただくのもおすすめです。でも一番のおすすめは大徳寺のすぐ近くにある中華のサカイの冷めん(冷やし中華)がおすすめです。タレが特徴的でクセになる美味しさです。しかも通年メニューです。冬でも食べてしまうほどの美味しさです。

◆アクセス
京都市北区大徳寺町58
地下鉄烏丸線京都駅から国際会館行き→北大路駅下車
北大路バスターミナル青のりばから市バス1・101・102・204・205・206系統
大徳寺前下車徒歩約7分