琵琶湖疎水を用いた小川治兵衛の庭園・並河靖之七宝記念館

御所・城・大名の庭

並河靖之七宝記念館は、並河靖之の七宝作品と工房跡を公開している展示施設です。明治27年に建てられたこの建物は表屋・主屋・旧工房・旧窯場が国登録有形文化財に指定されており、外観は大規模な表屋造で京都の伝統的な商家の構え。並河靖之は京都の七宝家として活躍した人物で、明治七宝界の双璧と評されました。こちらの七宝記念館では並河靖之の作品130点余りを見ることができます。※該当カテゴリがなかったので大名の庭の中に暫定的にいれています※

◆庭園レポート
並河靖之のお隣に住んでいて親交のあった、七代目・小川治兵衛が庭園をてがけています。小川治兵衛といえば明治の大事業「琵琶湖疏水」を引き込んで、南禅寺界隈の近代的日本庭園を作庭したことが有名ですが、この並河靖之七宝記念館もそのうちの一つです。個人邸に琵琶湖疎水を引き込んだのはこの並河邸が初だそうです。

当初は七宝の研磨用を目的に疎水を引き込んだのですが、その余った水を作庭に活かしたのだそうです。その後に、山県有朋の要望により庭園用を主目的として疎水を引き込んで作庭されたのが無鄰菴です。これ以降、小川治兵衛は自然の景観と水の躍動的な動きを組み込んだ超自然的な近代日本庭園をてがけていきます。七代目・小川治兵衛が「疎水を庭園に活かす」というきっかけになったのが、この並河靖之七宝記念館の庭園なんですね。


庭園内の大部分を占める池から急激に浅瀬に流れ込み、なつめ型の手水鉢で二手に分かれる流水。躍動感に溢れる大胆な構成。池に島に見立てた石を配置し、その上に建物の柱を立ててるのすごいなあと思いました。建物が池の上に浮かんでいるように見え、とても風雅でした。


◆入館
午前10時~午後4時30分(入館は4時まで)
月曜休館日

◆入館料
大人 800円 / 大学生・70歳以上 600円 / 高校生・中学生400円 / 小学生以下 無料

◆アクセス
京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町388 ⇒地図
地下鉄東西線「東山駅」下車1番出口より徒歩3分


◆歴史のこばなし
「七宝焼き」は美術展や博物館などでよく目にしたり耳にする言葉です。七宝焼きとは金属工芸の一種で、金属を素地にした焼き物のこと。日本では飛鳥時代の副葬品として出土したものが最古のようです。その後も室町~安土桃山にかけて七宝焼きは作られ、調度品などに用いられました。

安土桃山時代に伊予松山城下の金工師・嘉長が、豊臣秀吉あるいは小堀遠州に見出されて京都へ。嘉長は鋳物を釉薬で着色する『七宝流しの法』を心得ており、その後、江戸時代初期にかけて、曼殊院・大徳寺・桂離宮・修学院離宮などの襖の引手や釘隠が製作されていきます遠州が手掛けた茶室や桂離宮の飾り金具は、嘉長やその一派の作と伝えられてます。この頃の七宝は現代の光沢のあるツヤツヤとしたものではなく、ツヤのない泥七宝と呼ばれるものでした。

幕末時代に近代七宝の祖と言われる梶常吉が登場。梶の弟子の塚本貝助、並河靖之がドイツ人学者ゴットフリード・ワグネルが開発した透明釉薬の技術を取り入れ七宝焼きの技術は飛躍的に発展します。

日本の七宝焼きは欧米で高い評価を受け、人気の工芸品として輸出。外貨獲得の重要品となります。職人も競って技を磨き、日本の七宝焼きの技術は短期間で世界最高峰のものとなりました。そのため明治時代の1880年~1910年は七宝焼きの黄金期と呼ばれています。しかし世界大戦が勃発し、戦争のため輸出は困難になり産業は衰退していきます。


↑並河靖之作 藤草花文花瓶。

七宝焼きには様々な技法がありますが、並河靖之は有線七宝という技術で七宝焼きを作成しました。薄い金属線で模様をつける技法で、緻密な図柄が表現できます。とにかく細かく繊細な図柄で、とても美しいものです。並河靖之の卓越した七宝焼きの技術と七代目・小川治兵衛の庭園が見れる、一挙両得な記念館です。

ikeda

ikeda

日本庭園(主に古庭園)と歴史が好きな管理人が日本庭園の紹介と歴史コラムをと書いています。京都芸術大学大学院環境デザイン領域日本庭園分野を修了。書いた論文を当サイト内でも公開しています。

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