日本庭園の主役ともいえる石組。その石組にもいろんな意味や思想がこめられています。
・石組の基本は三尊石
仏像の三尊仏のように、中央に大きな石をその左右にややこぶりな石を組む方法です。平安時代の庭づくりの作庭書にも記されていることからかなり古い時代から取り入れられています。三尊石は釈迦三尊や阿弥陀仏を表現していることもありますが多くの場合は庭の景観をつくるための手法。各時代によって微妙に組み方が異なるので時代判別の材料にもなります。
・石組のルーツ
日本には山や海の天然の石に神が宿る、あるいは神がその石や岩に降り立つという「磐座信仰」があります。日本に庭園文化が生まれ、人の手によって石を組む時、自然が造った石組みの姿を参考にしたことは多いに考えられます。
また古墳にみられるように古墳はほとんどが石を積んでつくられています。古墳づくりで培われた石を運び組み立てる技術は日本庭園の造形力が短期間で発展したことに影響を与えていると推測されます。
神仙蓬莱思想の石組
モチーフとして取り入れられることの多い神仙蓬莱思想とは秦の始皇帝や漢の武帝の頃、海のかなたに仙人が棲む島があり、その島には不老不死の仙薬があると信じられた思想のことです。
漢の武帝は池泉に神仙島をつくることにより自身の長命や不老不死を願いました。神仙島を長寿の象徴であった亀の形につくり、その対岸に鶴の置物を配置した。そうして庭園の中に亀島・鶴島の造景が誕生しました。
神仙蓬莱思想は飛鳥時代に日本に伝わり、日本庭園の中心となり今日に至るまで蓬莱島・亀島・鶴島が創られています。
須弥山の石組
須弥山は古代インドの世界観が仏教に取り入れられたもので、世界の中心にそびえるという架空の山のことです。この世界は九つの山、八つの海から成っていて、その中心に須弥山が位置しているという考え方です。人間はおろか鳥も飛び交うことのできない特別な場所で頂上には帝釈天をはじめとしていろいろな神の住む世界があるといわれています。
仏教が日本に伝来した時に須弥山のイメージも伝わったとされます。須弥山の石組は北畠館跡庭園が有名です。
陰陽石の石組
江戸時代の大名庭園では陰陽石が流行しました。陰陽石とは男女の陰部に似た形の石のこと。男性器に似るものを陽石、女性器に似るものを陰石としています。大名家にとって子孫繁栄は存亡にかかわる大問題。子孫繁栄の願いをこめて陰陽石が組まれたそうです。
画像引用元:Wikipedia
枯山水の石組
水を一切使わない白砂と石組のみの庭のこと。⇒枯山水庭園が発展した詳細はこちら
枯山水は日本庭園の特色として現代にも引き継がれています。桃山時代から江戸時代にかけては枯山水と池泉庭園を組み合わせた大名庭園がいくつも作られました。