兵庫県丹波市の石像寺。655年開基と伝わる名刹で、1648年に曹洞宗として再興されました。
◆庭園レポート
石像寺には重森三玲が作庭した「四神相応の庭」があります。四神をテーマにした石組みと、四色の砂、区切りに四種類の敷石。こんなにパッキリと4種わかれたデザイン。奇抜ですね。晩年になるほどアヴァンギャルドさを増していく重森三玲らしい作庭で面白いなあと思いました。色々な石の表情を楽しむことができるのもお得!?
▼手前右が朱雀。手前左が白虎。
「四神」の文字が大胆にデザインされた竹垣。左の竹垣には石像寺にちなんでなのか「石」の文字も。こんなに様々な色の砂、石が混じっているのにそれぞれが引き立てあって、調和しているのが不思議でした。インパクトは超強いのですが違和感は感じません。
▼手前右が玄武、手前左が青龍。
奥にある「霧海の庭」の枯山水。高台にあり丹波の山々を借景にした美しい枯山水庭園です。
石像寺の裏山には高さ12mにも及ぶ磐座もあり、巨石や石好きにはたまらないお寺となっています。
◆拝観
年中無休
◆拝観料
無料
◆所要時間
20分ほど
◆アクセス
兵庫県丹波市市島町中竹田1003-1 ⇒地図
丹波竹田駅から徒歩で30分
◆歴史のこばなし
この庭園のテーマにもなっている「四神」は小説やゲームやアニメに登場することも多い、中国の神話・方角を司る霊獣、東の青龍(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)のことです。青龍は龍、朱雀は鳳凰、白虎は虎、玄武は亀で描かれることが多いです。
四神相応(しじんそうおう)は、大地の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをさします。
平安京は四神相応に基づいて町づくりが開発されたのは有名な話です。中国の四神相応は背後に山、前方に海・河川などの水(すい)が配置されている地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで山と水を砂で守る形態となっているものを指します。
平安京は北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とする紐づけができ、山と水を左右から砂で守るという風水の観点から京都は四神相応の地とされました。
画像引用元 京都検定
しかし昭和50年頃から、北の玄武は船岡山・東の青龍は鴨川・西の白虎は山陰道・南の朱雀は巨椋池と「山と川と道と池(澤)」に当てはめて平安京の四神相応を唱える説が出て、現在も定説になっています。これには異論がでているようで…。
と、いうのもしかも上記の「山川道澤(さんせんどうたく)説」の元になったのは平安後期、橘俊綱の書いた「作庭記」なんだそうです!作庭記はご存知の通り、作庭に関する指南書です。
作庭記には理想の庭園の姿として「四神=山川道澤」説が記述されています。庭園の中に山、河、道、池をつくる。そして四神としての山川道澤が得られない場合に特定の種類の樹木を特定の本数植えることで「四神=山川道澤」の代用となることを説いていて『作庭記』のこの部分は中国の書物から引用されたと推測されています。
この「四神=山川道澤」説は『作庭記』の中での説であり、それがそのまま平安京の四神相応に当てはまらないとする向きもあり、結局、平安京の四神相応はどっちなの?…っていう。どちらにしろ京都が日本の中心の都として1000年も栄華を極めたのは事実です。
ちなみに現在、目にする身近な四神は大相撲の屋根から下がっている4つの色分けした房などや
画像引用元 大相撲協会
あとは、ちらし寿司! 四色の具材で四神または四季、五色(五行)の具材で宇宙を表現しているといわれてるそうです。美味しいし最高ですね、ちらし寿司。食べたい。
画像引用元 クラシル