伝統とモダンに触れる“重森三玲庭園美術館”

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◆いけこボイス
京都にある重森三玲庭園美術館へ。お孫さんの重盛三明さんが館長、親族の皆さまで運営されてるそうです。重森三玲が過ごした邸宅で、お庭は最晩年に作られたものです。重森三玲らしい巨石と曲線によるデザインが躍動感あふれる庭園です。扉をくぐって庭に足を踏み入れた時のグワッとした吸引力のような躍動感は今でも感覚として覚えています。大きくて立派な青石がたくさん配置されているのも豪華。室内の照明は親交があったイサムノグチが重森三玲のために設計したものだったり、三玲がデザインした茶室の襖、吉田神社の六角殿をモチーフにした照明など、庭園以外にも見ごたえがかなりあります
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◆歴史コラム
重森三玲の庭といえば巨石を多用した美しい石組みが欠かせません。日本庭園の石組みの起源は磐座(いわくら)と呼ばれる古代の巨石群です。磐座は神の降り立つ依り代として考えられており、神社の御神体になっていることもあります。日本庭園で最も多い石組みは神仙蓬莱思想と呼ばれる秦の始皇帝の頃に広まったとされる海のかなたに仙人が棲み、不老不死の薬がある島があると信じられました。庭園に石組みで神仙島を組み、取り入れることで不老不死や長命を願います。松野尾大社では重森三玲がたくさんの石で神仙蓬莱を表した「蓬莱の庭」が見れます。
また仏教思想を強く反映した庭園の石組みには「須弥山」と呼ばれる架空の山を模すことが多いです。「須弥山」は世界の中心にそびえるという高山のことで人間はおろか鳥も飛び交うことのできない特別な場所で、頂上には帝釈天をはじめとしていろいろな神の住む世界とされており、悟りの極地への願いを庭園に「須弥山」を取り入れることで表しています
禅寺といえば枯山水を連想しますが、本来は儀式で使うための白砂を敷いた広いスペースでした。室町時代のある時期からあまり儀式で使われなくなりました。禅僧にとっては座禅の場でもあったため、瞑想の場にふさわしい造形として白砂を海に見立てて石を組みようになりました。それが枯山水の始まりと言われています。
日本庭園には民間信仰も取り入れられています。「陰陽石」がそのひとつで陰陽石は江戸時代に流行したこともあり、大名庭園でよく見られます。大名たちは子孫繁栄の願いを込めて陰陽石を庭園内に組み込んでいきました。

神でも仏でも、縁起のよいものはなんでも崇拝し願いをこめて取り込むこの精神性、日本人そのもののようで面白いですよね。


◆アクセス

  京阪出町柳より、市バス201系統で京大正門前(東一条)下車 
  阪急河原町より、市バス201系統で京大正門前(東一条)下車
  JR京都より、市バス206系統で京大正門前(東一条)下

重森三玲庭園美術館