蘭渓道隆開山、夢窓疎石の庭園がある建長寺

建長寺は神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆です。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されています。

◆庭園レポート
鎌倉に旅行に行った際に立ち寄りました。方丈前に心字池を中心にした、夢窓疎石の作とされる庭園がありました。ものすごくキレイにお手入れしてありました。庭園とは関係ないですが、半僧坊前の階段にあちこちに烏天狗の像があり、烏天狗好きにはたまらん感じでした


◆拝観
年中無休

◆拝観料
500円

◆所要時間
1時間ほど

◆アクセス
神奈川県鎌倉市山ノ内8 地図
JR東海道線大船駅乗り換え、JR横須賀線北鎌倉駅より鎌倉駅方面に向かって徒歩約20分


◆歴史のこばなし
なぜ鎌倉幕府は鎌倉にあったのか?という疑問。幕府の起こりはこの鎌倉幕府から始まったのですが、そもそも幕府ってなんだ?と。

もともとの起こりは、立場の弱かった関東の農民を束ねる豪族に頼られるようにして、源頼朝が武士団を結成したことがはじまりです。
なぜ関東の豪族が立場が弱かったかというと、国には中央(朝廷)から任命された国司あるいはその代理人である目代がいたのですが、権力をふるって土地を奪ったり必要以上に税をとったりするなど豪族(農民)を苦しめてたんですね。

豪族たちは実力者ではありましたが朝廷の役人にはかなわず言われるままの状態。そんな中、豪族たちは国司になったあとそのまま京に帰らず地方にいた血統のいい平氏や源氏の実力者たちと婚姻関係を結びます。

平家も源氏ももともとは天皇家の子孫です。それで朝廷の役人、つまり朝廷のやり方に嫌気が差していた豪族たちは源頼朝を中心に武士団を結成し関東一円の国司や目代を追放し、他の豪族たちをどんどん仲間に取り入れ、自分達で土地の管理をしはじめます。

そうして関東の武士達の支持を得て鎌倉に武士の利益を守る組織を作ります、これが鎌倉幕府です。なぜ本拠地を鎌倉としたのか?についてですが、源頼朝の祖先の地が鎌倉だからだとか、守りやすく攻めに出やすい要害の地であったためとも言われているようです