菱形が特徴的な枯山水と幽玄に触れる南北朝時代の古庭園・南禅寺天授庵

南禅寺は、京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山の寺院。亀山上皇は1289年40歳の時に出家して法皇となりました。寺号は正しくは太平興国南禅禅寺といいます。

◆庭園レポート
10年ぶりくらいに南禅寺へ行きました。南禅寺は京都五山の別格とされています。 ⇒五山の詳細についてはこちらの歴史のこばなしをご覧ください。

南禅寺の天授庵には小堀遠州が発案したと伝わる菱形の畳石がとても特徴的な枯山水庭園と南北朝時代の池泉回遊式の古庭があります。


モダンな雰囲気を持った秀麗な形貌に小堀遠州らしいきれいさを感じます。

奥へ進むと書院南庭である南北朝時代の古庭園があります。⇒南北朝時代についてはこちらの歴史のこばなしで解説しています。
この庭園は実に 幽寂閑雅でみやびやかでした。別世界に迷い込んだような、時間の進み方がまるで違うような静けさ。


池には睡蓮。見ごろの時は浄土感溢れてすごそうです…。木立に覆い囲われていて明るさはあまりない庭園なんですが、だからこそうっすらと靄がかかったような夢幻の間にいるかのような気になりました。行った日が曇りだったのも大きいですね。晴れの日はきっとキラキラと水面が輝きまた違う趣なんでしょう。天候によって表情の七変化を楽しめるのが庭園鑑賞の醍醐味ですよね。だから庭園鑑賞って飽きません。


◆拝観
9:00~17:00 冬季は9:00~16:30

◆拝観料
500円

◆所要時間
20分~30分ほど

◆アクセス
〒606-8435 京都府京都市左京区南禅寺福地町86−8 ⇒地図
地下鉄東西線「蹴上」7分
市バス5系統「南禅寺・永観堂道」下車7分


◆歴史のこばなし

この天授庵は重要文化財に指定されている長谷川等伯の襖絵があることでも有名です(通常非公開)。天授庵は衰退していたものを1602年に武将で歌人でもあった細川幽斎によって再興されました。⇒細川幽斎(藤孝)についてはこちらの歴史のこばなしをどうぞ 長谷川等伯の襖絵もその時に描かれたものです。この長谷川等伯は安土桃山時代に豊臣秀吉や千利休、細川幽斎をはじめとした大名などに重用された絵師です。

若い時から絵の手ほどきを受け仏画などを描き、狩野派の絵師に師事するもすぐにやめた後、堺と京都を行き来していて千利休と親交を温めた長谷川等伯。千利休と狩野派はそれほど親しくなく(なぜ千利休と狩野派があまり親しくなかったのかは不明ですが、個人的には豪華で派手な作風の狩野派の美と利休の美は相容れなさそう…と邪推してしまいます。聚光院の庭園は狩野永徳と千利休のコラボ作品として残ってたりもしますけど。)それに目をつけた長谷川等伯が千利休と親交を深めたらしいです。

1589年、千利休のツテで大徳寺山門の天井画と柱絵を完成させ、一躍有名絵師の仲間入りを果たします。安土桃山時代の絵師というと狩野永徳をはじめとした狩野派が有名ですが、長谷川等伯はその狩野永徳に飛ぶ鳥を落とす勢いで迫ります。1590年には秀吉が造営した仙洞御所対屋障壁画の注文を獲得しようしますが、これを知った狩野永徳が異議を申し立て注文は白紙に。このことから、狩野永徳は長谷川等伯を脅威に感じ警戒していたことがわかります。当代随一の絵師の狩野永徳をここまで警戒させたことは、やはりただ者ではない才能を狩野永徳が看過できなかったのでしょうか。

ちなみに狩野永徳の絵の特長は画面から飛び出さんばかりの対象(巨木)の描写と力強い表現様式、いわゆる大画様式の確立。その勇壮でスケール感に溢れる力動的な表現が武将の心をとらえました。

ダイナミックな狩野永徳の檜図屏風

安土城の天守の金碧障壁画を担当したことも有名です。滋賀の「信長の館」では安土城の天守の復元があり金碧障壁画も再現されています。

画像引用元:散歩日和

長谷川等伯の絵の特長は、水墨による詩情性に溢れた湿潤な松林を描いた『松林図屏風』や、

大和絵の優美さを残しながら豪壮でダイナミックに楓の樹木を表現した「楓図壁貼付」は傑作として語り継がれています。大画様式であるものの、紅葉の葉や木犀、鶏頭、萩、菊が色彩豊かに入り乱れる装飾的表現や、自然的躍動感に溢れる豪壮かつ繊細な描写は長谷川一門的大画様式とも呼ばれ、独自のものだそうです。上で紹介した狩野永徳の檜図屏風も大画様式ですが、全く印象が異なりますよね。

画像引用元:MUSEY

ちなみに私は長谷川等伯の枯木猿猴図が大好きです。たまりませんよ、この表情たるや。かわいいの極致。ぽわぽわ柔らかいテナガザルと力強く描かれた樹木の輪郭線の対比がものすごいです。