有名な「額縁の庭」と「仏神岩組海流水回遊花庭」のハイテンションな庭が楽しめる宝泉院

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宝泉院は勝林院住職の坊として平安末期からの歴史があります。天台宗を開いた最澄の高弟・円仁が唐の仏教修行を終え、日本に帰ってきた時に密教、五会念仏など法要儀式に用いる仏教音楽「声明」を伝えました。その後、寂源は大原寺(勝林院)を開き、大原は法儀声明が盛んとなり、今でも天台声明の聖地となっています。

◆庭園レポート
宝泉院といえば樹齢700年の松を、柱と柱の空間を額に見立てて鑑賞する「額縁の庭」が有名です。威風堂々とした松の圧倒的な存在感たるや!宝泉院で見逃せないもう一つのポイントは伏見城の床を供養のために祀った血天井。よーく目を凝らしてみると突っ伏したまま息絶えた人の形が見えるそうです。戦国時代の凄惨さをありありと感じることができます。そして宝泉院にはもう一つ庭園があります。「宝楽園」と名付けられた庭はごく最近完成されたもので、作庭は園治(えんや)が手がけたもの。庭園におりた瞬間「なんやこれは~わあ!宇宙的!」な感じで、設計の意図も「仏神岩組海流水回遊花庭」を趣向した太古の創世、原初の海を想像して石組だそうで、神仙世界が散りばめられています。かなりキテる庭です。「躍動感の美しさに触れて、悠久の気を養っていただきたく思います。」と紹介文に記載してありますが、躍動感も、浮遊感も感じましたし、とにかく自分が立つ場所で見える世界が変わる!こんなにエンタメ的なというか装置的な庭を体感したのは初めてかもしれません。回遊し終わった後は、アトラクションを体験したあとのような高揚感と爽快感。ぜひ、季節を変えてもう一度行きたいです。

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◆歴史のこばなし
宝泉院に祀られている伏見城の血天井ですが、話は関が原合戦の時にさかのぼります。伏見城は豊臣秀吉が自分の隠居のための城として建立したもので、秀吉の死後は家康の京での居城となります。関ヶ原の合戦は日本の歴史上1番有名な内戦だと思いますが、もちろんいきなり家康が「天下とったるぞ!」と開戦したのではありません。どの戦もいきなり領地奪うぞ!権力ぶんどるぞ!と始まるものはなくいずれもそれぞれに一応の大義名分というものがあります。秀吉は病床にて、豊臣秀吉の唯一の跡継ぎがまだ幼少の秀頼だったため五大老(の中でも特に前田利家・徳川家康)に秀頼の後見人としてくれぐれも頼むと言い残し、五奉行・五大老に誓紙(起請文)に血判を押させてこの世を去ります(この誓紙は現物が残っていて大阪城が所蔵していてたまに公開したりします)。

その遺言通り、前田利家は秀頼の後見人として奮闘しますが、徳川家康は豊臣家が決定した数々の決まりごとを次々と無視し有力大名家との勝手な婚姻による姻戚関係の構築を図ります。豊臣家の政策執行官であった石田三成は、曲がったことを許せない性格から徳川家康を弾劾しますがのらりくらりと交わされます。徳川家康の勝手な行動については前田利家が何度か諌め、一応の押さえになっていたのですがそんな中、要であった前田利家も病死してしまいます。そうなると徳川家康の独壇場になり、やりたい放題しだします。どんどん有力な大名が亡くなっていき、最後の大御所になった家康(徳川陣営)が「天下取りにもうワンチャンスあるんじゃないか」と思うのも仕方ないことですね。それくらい運がある

カンカンになった石田三成は徳川家康をどうにか止めないと豊臣家の天下が危ういと危惧しだします。しかし、そんな時にタイミング悪く事件が起こります。元々、豊臣家には加藤清正や福島正則をはじめとする「武断派」と石田三成や増田長盛をはじめとする「文治派」という派閥があって非常に仲が悪かったんです。朝鮮出兵の時の決裂から、ずっと分裂状態だった2つの派閥。武断派がこのタイミングで石田三成殺害を企てます。そして、このいざいこざを収めたのが徳川家康。石田三成に「このいざこざを招いた要因はそちらにもある」と五奉行・執行官としての地位を剥奪し中枢である大阪より退かせ、居城である近江佐和山城に謹慎させてしまいます

謹慎させられたとはいえ、徳川家康と一戦交えることはもう覚悟の上の石田三成、上杉景勝とともに着々と準備を進めます。上杉家がどうやら戦闘に備えて城の補強をしたり武器を集めているらしい、と聞いた徳川家はすぐに使者を出し「天下に動乱をもたらす気か」と問い詰めます。それに対しての返答が直江兼続が書いたあの有名な「直江状」です。「うちの家のことで色々な噂があるみたいですけど京と大阪の近い間でだって色々な噂がたつのにこんなに離れて距離があると色々な噂がたっちゃうのは仕方ないっすね。上洛しろっていうけど帰国したばっかりで領国経営もままならんのに簡単に上洛しろって言われても困るんすよね~。造反のない証に誓詞をだせって言われても、そういえばこのあいだ出した誓詞ってどうなったんすか?京や大阪の武士は茶器を集めたりするのがたしなみみたいっすけど、田舎の武士は武器を集めるのが好きなんですよね。風土の違いっすね。」みたいな内容です。それを受け取った家康は大激怒「天下に動乱をもたらしかねない上杉征伐」の名目でいよいよ挙兵します

で、やっとここでくだんの伏見城がでてきます。表向きは「上杉征伐」ですが誰の目にも石田三成が徳川家康が上杉討伐に向かったあと、関西で挙兵するのは明らか。そうすると石田三成がまず攻めるのは徳川家康の京での居城、伏見城になります。ほとんどの兵を上杉征伐(と言う名の関ヶ原合戦)に投入していくわけですから、伏見城は捨て城となります。それを守る役目になったのが徳川家康が幼少の頃からずっと側仕えだった鳥居元忠。家康に「兵を残してやれなくてすまぬ」と言われた元忠は「大軍に包囲された時は城に火をかけ討死するほかないから、人数を多くこの城に残すことは無駄ですから一人でも多くの家臣を城から連れて出てほしい」と言って、2人で酒を酌み交わしたエピソードは美談として語り継がれています。

そしてその読み通り、家康ら徳川家の本隊が上杉征伐へ出陣すると石田三成は挙兵し、伏見城は関ヶ原の前哨戦として13日間に及ぶ攻防の末、鳥居元忠ら徳川家の家臣は討ち死にし伏見城は落ちます。鳥居元忠のその忠節は「三河武士の鑑」と讃えられたそうです。そんなエピソード込みで血天井を見ると怖いだとかそういう気持ちより、胸にこみ上げる感動があるかもしれません。

◆拝観
午前9時~午後5時

◆アクセス
JR京都駅 「京都駅前」停留所 17系統・18系統に乗車、「大原」停留所まで約65分。
地下鉄烏丸線「国際会館駅」で下車後、「国際会館駅前」停留所にて19系統に乗車「大原」停留所まで約25分。