重森三玲の巨石庭園がある豊国神社

豊国神社は豊臣秀吉を祀った神社で大阪城内にあります。大阪の陣以降廃祀されていましたが、明治天皇の命により明治六年に京都の阿弥院峯墓前を本社として社殿を造営、大阪には別格官幣社豊國神社の別社として中之島字山崎の鼻(現在の中央公会堂)に、明治12年11月に創立されました。
昭和20年終戦と共に社格が廃止されたので、現在宗教法人となって神社本庁所属の神社となりました。その後昭和31年大阪市より神社移転の要望が再開されたので、祭神に縁のある大阪城内を移転地と決定し、昭和36年1月中之島より奉遷したのが現在の神域です。

◆庭園レポート
大阪城内の豊国神社に重森三玲が作庭した巨石庭園があるらしいと知り、行ってみました。なんでも三玲自身が秘蔵にしていた阿波(徳島)産の緑泥片岩を使用しているらしいです
ただ、庭園は常に公開しているわけじゃないんですね。下調べが足りずこの日は門の外から眺めることに…。事前に予約をしておけば見れるらしいので、今度は予約をしていかなければ。
神社庭園の発祥が磐座(神が座す岩)にあり、石を神格化することが神社庭園の意味とし、七・五・三に石を配した石庭となっているそうです。豊国神社のご祭神である豊臣秀吉の馬印瓢箪を地割模様とし、観賞用石舞台にも瓢箪模様が描かれていました。


◆拝観
無休 庭園の見学は要予約

◆所要時間
15分ほど

◆アクセス
大阪市中央区大阪城2−1 地図
地下鉄 天満橋駅 谷町4丁目駅 森ノ宮駅
JR環状線 森ノ宮駅 徒歩10分


◆歴史のこばなし
秀吉しかり、信長・家康しかり、天下人は神格化されて祀られています。日本はもともと、人間を神様に祀る習慣のある国です。しかし、それは蘇我入鹿や菅原道真や崇徳上皇、平将門など、不遇な死を遂げた怨霊のたたりを恐れた他の人々が御霊として祀るというものでした。

ところが、秀吉と家康は生前から自分の意思で「死後は神社に祀られること」を望んだのです。秀吉は 豊国大明神という社を造って自らが神になることを考えます。 神となり死後でさえ、天下人として自分の願いを成し遂げようという希望の現れだったんでしょうか。
その宣言通り、秀吉の死後1年後の1599年に東山三十六峰のひとつ阿弥陀ヶ峯に、秀吉を「豊国大明神」として祀る、壮麗壮大な神社が創建されました。しかし大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した後は、徳川幕府の命により廃祀されてしまいます。(前述の通り、明治時代に復興されています。)

一方、豊国神社を廃祀した徳川家康も自身の神格化を望み「東照大権現」という神名をつけ日光東照宮に祀られることを望みます。明らかに天皇家の祖神である「天照大神」への対抗心が表れています。どちらも神の子孫であるということをアピールし、天皇と将軍の権威は対等であるという意図があったようです。

信長は生前、天皇家の存在を越えようと自らが生きている間に神になろうと自己神格化を図っていたと推察されていますが、実際のところは志半ばで本能寺の変で横死します。明治時代に明治天皇の命により創建された信長を祀るため京都の船岡山に建勲神社が建立されました。超えようとした天皇家によって神格化されたんだとしたら、ちょっと皮肉な話な気もしますね。その他にも、戦国時代の大名や大大名は出身地の神社に祀られている場合があります